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「短くて3カ月」父が余命宣告されるなか…ラトビアなど7カ国を渡り歩いた元浦和レッズ・赤星貴文が引退から1カ月で復帰したワケ
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGakunan F Mosuperio
posted2021/06/10 11:00
静岡県社会人1部・岳南Fモスペリオに入団した赤星
「もし躊躇していたら、父に会えなかったかもしれない」
「プレーを見せることができなかったのは本当に残念です。でも傍にいて看取ることできて本当に良かったなと。孫にもずっと会いたがっていましたから、父にとっては幸せな時間だったんじゃないかと思うんです。日本に帰ってくるという決断をして良かった、と妻にも話をしました。もし躊躇していたら、父に会えなかったかもしれないので。
本当に優しい父でした。時間もお金も愛情も子供のために注いでくれて、僕はサッカー選手になることができた。若いころはそこに気がつきませんでしたけど、時間とともにありがたみを感じました。母に対してもそうですけど、父に対してもいつも感謝の気持ちを持ってきたつもりです」
父の死から4日後、SNSで岳南Fモスペリオ入りを発表した。
そこにはこう綴っている。
『亡き父にも、僕がプレーする姿をもう一度見せたかったですが、きっとどこからか見てくれていると思うので、少しでも親孝行そして応援してくれる全ての方々にまたプレーする事で希望を与えられるように精一杯の努力をしていきます!』
「日本語がこんなに飛び交う試合って久々だなって」
もし父の病気がなかったら、きっとオランダでの生活が続いていたに違いない。
一度引退して、すぐに復帰するという決断もなかっただろう。
父を介してのリスタート。
「岳南Fモスペリオは静岡県社会人リーグ1部ですけど、将来のJリーグを目指すチームの力になりたい。営業もやれるので、何か新しい力を身につけたいという思いもあります。そしてオランダでの移住を途中でやめてしまっているので、いつかまた海外で生活をしたい気持ちも強くあります」
5月23日、静岡市役所清水とのリーグ戦でデビューした。日本ではツエーゲン金沢時代以来、11年ぶりになる。
「日本語がこんなに飛び交う試合って久々だなってまず思いましたね。グラウンドを含めて環境はJリーグと全然違うなって思いましたけど、県社会人リーグのレベルも多少なりともつかめたし、これからが楽しみですね」
前日からの雨が上がり、晴天に包まれていた。
きっと父がどこかで見てくれている。そんな気がした。