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「短くて3カ月」父が余命宣告されるなか…ラトビアなど7カ国を渡り歩いた元浦和レッズ・赤星貴文が引退から1カ月で復帰したワケ
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGakunan F Mosuperio
posted2021/06/10 11:00
静岡県社会人1部・岳南Fモスペリオに入団した赤星
「父の傍にいられるような仕事を見つけたい」
覚悟はしていたが、頭は真っ白になった。自分を応援してくれていた父の最期を見届ける責任があると思い、妻の後押しを受けてオランダ生活をわずか10カ月で切り上げることにした。
「ずっと海外でプレーしていましたから、ちゃんとした親孝行もできていなかった。日本に戻りたい、戻らなきゃいけないと妻に伝えたら、理解してくれました。今年1月に切り上げて、地元に戻って3月の終わりくらいに自宅も決まって。現役を続けるかどうかって迷っていましたけど、もう選手として区切りをつけようと思いました。父のために帰ってきたのに、所属先を見つけてとなるとまた離れなきゃいけないし、遠征もあるから、何かあったときに駆けつけられない。父の傍にいられるような仕事を見つけられたらなと思っていました」
4月8日、SNSを通じて引退を発表した。
『16年間も現役生活を続けてこれたのは、応援してくださった皆さんのおかげです。日本、ラトビア、ポーランド、ロシア、タイ、イラン、インドネシアの計7カ国の国でプロサッカー選手として経験出来た事、全てが僕の財産です。海外での選手生活をこんなに長くするとは全く考えていませんでしたし、色んな国の宗教や言葉や国民性を肌で感じれた事が、何より幸せでした!』
地元の岳南Fモスペリオが連絡をくれた
選手としてやり残したことはあった。それでも今なら未練を断ち切ることができると思い、現役生活にピリオドを打つことができた。
しかし思いも寄らなかったことが起こる。
実家の近くに居を構え、仕事を探そうとしていた矢先。地元にある岳南Fモスペリオが引退報道を知って、連絡をくれたのだ。
「うれしかったですね。連絡をいただいた強化の方が僕と同じ年齢で“地元のクラブだし、ぜひウチでプレーしてほしい”と言ってもらえて。営業でもお手伝いするというのも惹かれましたし、何より父が生きている間に、もう一度自分がサッカーをしているところを見せられるんじゃないか、と」