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レバンドフスキに得点記録を抜かれたゲルト・ミュラーは何を思う? その偉大さとまだ破られていない“ありえない記録”とは
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph byGetty Images
posted2021/06/03 11:01
シーズン最多得点記録を更新したレバンドフスキ。最終戦で見せた執念のゴールだった
ユニフォームを脱ぎ捨て、ピッチを走り出す。チームメイトが次々と抱きつき、祝福の儀礼が続いていく。
レバンドフスキは「幸せすぎる。すごく特別なことだ。僕のキャリアのなかで歴史的な瞬間だ!」と喜びを爆発させた。そして「チームに感謝している。ゴールを取れるようにずっとパスを送ってくれていた。この記録はチームのものでもある」という言葉は心からの感謝の思いだっただろう。不可能と思われていた記録が破られて、ここからまた新たな歴史が始まることとなった。
バイエルンに携わるすべての人に永遠に感謝される存在
記録には想いが宿る。リーグ最多得点者は、ゲルト・ミュラーであってほしいとの声も相当数あった。それは単に得点数という問題ではなく、彼のゴールがバイエルンとドイツサッカー界を何度も救ったという記憶と密接にかかわっているからだろう。
盟友で元バイエルン会長のウリ・ヘーネスは、こう語っていた。
「ゲルト・ミュラーは、FCバイエルンとドイツサッカー界において最も意味を持つ人物だ。数えきれないほどのゴール、タイトル、成功。彼の歴史的ハイパフォーマンスのおかげで、FCバイエルンは世界中に知られるクラブとなった。偉大な選手であり、偉大な同僚であり、いまも素晴らしい人間だ。FCバイエルンに携わるすべての人にとってゲルト・ミュラーは永遠に感謝される存在なのだ」
バイエルンはいまでこそドイツサッカー界の盟主で、最新のUEFAクラブランキングでもトップに立つ絶対王者だ。赤字を出さず、常に健全経営を進めているという点でも、世界有数の優良クラブとして君臨している。
だが、昔からそうだったわけではない。ブンデスリーガがスタートしたのは1963年だが、実は記念すべき創設メンバーにバイエルンは入っていない。
ドイツサッカー連盟(DFB)はミュンヘンの代表として、FCバイエルンではなく地元のライバル、1860ミュンヘンを選んだのだ。
それでも、バイエルンのビルヘルム・ノイデッカー会長は好機と捉えた。というのも、当時のバイエルンは運営面で問題を抱え、経済状況が芳しくなかったのだ。そのため高額の選手を外から獲得するのではなく、地元を中心に将来性ある若手選手に着目し、彼らにクラブの将来を託す決断をした。
フランツ・ベッケンバウアー、ゼップ・マイヤー、そして、ゲルト・ミュラーといったレジェント級の選手は、そうした状況下で生まれてきた。