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野球少年だった小野寺太志がバレー歴4年で日本代表へ…“奇跡の2m”が急成長したフィリップ・ブランとの会話とは?
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byTakahisa Hirano
posted2021/05/31 17:00
ミドルブロッカーとして日本代表での地位を確固たるものにしつつある小野寺太志
「卒業してから後輩の練習相手をする時も、先生から『お前がブロックしても、高校生じゃ相手にならないから後ろに入れ』と言われて、ゲーム形式の練習ではいつも後衛でレシーブして、バックアタックに入る。前衛でプレーすることはほとんどありませんでした」
大きいから打てばいい、ではなく、大きいんだから打つだけじゃダメ。至ってシンプルな将来設計に基づく遊びの練習が卒業後に進学した東海大で本格的に培われ、大学2年時の2015年には日本代表登録選手に初選出。
野球少年がバレーボールを始めてから、わずか4年足らずの出来事だった。
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日本にとって待望とも言える2m超えの大型ミドルブロッカーの登場。さらに贅沢なことに、同世代には204cmの山内晶大と、201cmの高橋健太郎と3人も大型ミドルが揃っており、彼らもまた、大きくて動ける。なおかつ本格的にバレーボールを始めたのが高校から、という境遇も小野寺と似ていた。
しかし14年からアジア大会に出場した山内、15年のワールドカップに出場した高橋に比べ、小野寺は経験面で完全に劣る。当時の小野寺は4番手、5番手のミドルブロッカーは試合に出場する機会がほとんどなかった。
小野寺を変えたブランの言葉
恵まれた体躯と能力がありながら試合に出られなかった野球部時代と同様、そのまま「大きいけれどインパクトが足りない」選手のまま終わってしまう可能性もあった。しかし、そんな小野寺の器用さとレシーブ力に目をつけたのが日本代表のフィリップ・ブランコーチだ。
「この高さを活かさない手はない」とばかりに、大胆にも17年のワールドグランドチャンピオンズカップで、ブランコーチは小野寺をアウトサイドヒッターに転向させたほど。
ただ、大型アウトサイドヒッターへの挑戦はわずか1シーズンで終わり、翌年のアジア大会、世界選手権はミドルブロッカーとしてリザーブに留まるばかり。ケガをした選手の代わりに出場機会をつかんだときもパッとした成果を残せなかった。
申し分のない能力を持ちながら、なかなか開花できない小野寺に小さな気づきを与えたのは、やはりブランコーチだった。19年のネーションズリーグに先立って敢行されたイタリア遠征で、ブランコーチの発した何気ない一言が運命を変える。
イタリアとの親善試合初日でケガをした高橋に代わり、翌日の2戦目は小野寺にチャンスが巡って来た。試合を通して好調を維持し、試合もフルセットの末に日本が勝利。
気分良く、その日の試合映像で自分のプレーを見ていたら、ブランコーチに言われた。
「タイシ、ちゃんと見ているのか?」
いや、見ているし。喉元まで出かけた言葉を、ブランコーチが押し消した。
「お前はミドルブロッカーなんだから、自分の動きじゃなくて、見るのは相手のセッターやスパイカーだぞ」