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野球少年だった小野寺太志がバレー歴4年で日本代表へ…“奇跡の2m”が急成長したフィリップ・ブランとの会話とは?
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byTakahisa Hirano
posted2021/05/31 17:00
ミドルブロッカーとして日本代表での地位を確固たるものにしつつある小野寺太志
「お母さんは実業団でバレーボールをやっていた経験もあるので、厳しい世界だということを自分がよくわかっていたんです。だから絶対、息子には同じ思いをさせたくない、と。だったら友達にも誘われていたし、太っていたから走るのも苦手だったので、サッカーより走らないイメージがある野球がいいな、と深く考えずに決めました」
地元の宮城という土地柄は野球も盛んで、そのまま甲子園を目指す高校球児やプロ野球選手への道を一直線に進むという将来もあったであろう中、なぜバレーボールに軌道修正されるのか。いくつも生じた“想定外”が引き金になった。
試合中は走らないように見える野球も、練習ではひたすら走る。野球部ではなく陸上部ではないかと錯覚するほど、毎日とにかく走ったおかげで身体は絞られたが、長所になるはずの身長が、当時は仇になった。立って話を聞いているだけなのに「上から見下ろすな」「目つきが悪い」と目の敵にされ、試合にも出してもらえない。
中学2年で野球部顧問の異動に伴う交代で、長身を買われファーストとピッチャーとして中学の野球部で少しずつ試合出場の機会をつかんだが、その時点ではすでに自分より優れた選手がたくさんいた。
それでも中学3年で195cmまでに到達した高さは魅力的。これを見た東北高の野球部顧問は、さほど実績のない小野寺を「磨けば光る」と見込んでいたという。だが、東北高校に進学した小野寺が選んだのはバレーボールだった。
「絶対、日本の宝になる」
「JOC杯(全国都道府県対抗中学大会)の宮城選抜の監督と両親が知り合いで『経験がなくても出させてほしい』と頼まれて試合に出たんです。野球をやってきたおかげで飛んでくるボールに恐怖心もなかったし、意外とすぐにできて、楽しかった。
とりあえずJOC杯に出るだけ出て、終わってからバレーか野球か、自分のやりたいほうを選べばいいと言われていたけれど、気づいたら選択の余地もなくバレー部に決まっていました(笑)」
無理もない。素人ながらに器用なボールさばきと、優れた運動能力。全国制覇の経験もある強豪でもある東北高のバレーボール部を率いた監督は、小野寺の可能性を見逃さずはずなく、「絶対、日本の宝になる」と同校OBでもある父を口説いた。入部後は将来を見据えて、レシーブ力も重視した。