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オークスを制したミルコ・デムーロに父が遺した“人生は難しい”の教え 「もっともっと、たくさん話をしたかった」
text by
太田尚樹(日刊スポーツ)Naoki Ota
photograph by本人提供
posted2021/05/24 17:00
17年秋に来日した両親と撮ったセルフィー。13年ぶりに観戦した両親の前でマイルCSを制した
「僕には『なれ』とも『やめろ』とも言わなかった」
幼い頃のミルコ少年は怖がりで、毎晩、両親と同じベッドで寝ていた。小さな手に握りしめていたのが、愛するパパの寝間着。翌朝に厩舎へ連れて行ってもらうためだ。それでも、置いてけぼりばかりだった。父はまだ暗い早朝に目覚めると、息子の両手をそっとほどき、家族を起こさないよう静かに出かけて行ったという。
「僕もずっと『ジョッキーになりたい』って思ってたけど、お父さんは厩舎に連れて行ってくれなかった。帰ってきたら、僕はいつも『なんで連れてってくれなかったの!』って怒ってた。僕には『なれ』とも『やめろ』とも言わなかったけど、自分が苦労したし『ならない方がいい』って思ってたのかもしれないね。お母さんには反対されていた。お父さんが落馬でケガをして心配してたし、『なりたい』って言っても『ダメ!』って。よくケンカしたよ。本当はお医者さんになってほしかったみたいだけど、僕は勉強が嫌いだったから(笑)」
レースで負けるとケンカばかりだったけど
そんな母を説得して、15歳で騎手としてデビューした。父は負傷などもあって2年前に引退しており「一緒に乗りたい」という夢は叶わなかったが、2年目の'95年には見習騎手のリーディングに輝き、'97年からは4年連続でイタリアのリーディングを獲得。若くして才能を開花させた。
「みんなが良くしてくれた。『おお、あのジビ(父の愛称)の息子か』ってね。お父さんはみんなに好かれてたから。レースで負けると、『なんで外へ行かなかった?』とか厳しく言われてケンカばかりだったけど、そんな時、お母さんはいつも僕の味方だった。『あなたはミルコほど活躍してなかったでしょ』って言われたりして、お父さんは少しかわいそうだったけどね……」