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オークスを制したミルコ・デムーロに父が遺した“人生は難しい”の教え 「もっともっと、たくさん話をしたかった」
posted2021/05/24 17:00
text by
太田尚樹(日刊スポーツ)Naoki Ota
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本人提供
5月23日、第82回優駿牝馬(オークス)でユーバーレーベンを見事1着に導いたミルコ・デムーロ騎手は、勝利インタビューでそう口にした。実はこの言葉、昨年9月に急逝したデムーロ騎手の父・ジョヴァンニさんが何度も彼に繰り返した教えの言葉だった――。
昨年の秋競馬特集(Number1012号:2020年10月8日発売)でデムーロ騎手が亡き父を悼んだ記事を、特別に公開する。(肩書等全て当時)
知らないうちに、父は旅立ってしまった。まるで幼い日の朝のように――。
自分の目を疑うしかなかった。9月6日、夕暮れの新潟競馬場。日曜のレースを終えたミルコ・デムーロは、シャワーで汗を流してから2日ぶりに携帯電話を手にした。JRAの騎手は公正確保のため、金曜夜から全騎乗終了までは外部と連絡がとれない。いくつもの通知の中にあったのが、弟クリスチャンからのメール。そこには闘病中だった父ジョヴァンニさんが亡くなったことが記されていた。まだ68歳。画面の文字は、みるみるうちに涙で歪んでいった。
「何もできなかった。あっという間だった」
「帰っても何もできなかったと思う。でも」
病床を見舞えず、最期を看取れず、葬儀にすら参列できなかった。ローマに住む父は7月から体調を崩し、翌8月に入院。喉に癌が見つかった。母国へ駆けつけようとしたミルコに、コロナ禍が立ちはだかる。
日本では当時ビザの効力停止措置が取られていたため、外国人が一度出国してしまうと、次はいつ日本に戻ってこられるか分からない状況だった。母ラファエラさんには「帰らない方がいい。ミルコは日本で頑張って。お父さんは私が見ておくから」と勧められた。亡くなる2日前の金曜には、まだ会話ができていたという。しかし、容体が急変した。
「帰っても何もできなかったと思う。苦しむ顔も見たくなかったし、良かったのかもしれない。でも本当は帰って会いたかった」
ジョヴァンニさんは地中海に浮かぶサルデーニャ島に生まれた。小柄な人が多く、アンドレア・アッゼニやダリオ・バルジューらの名手も輩出している。16歳の時にイタリア本土の競馬学校から来たスカウトに誘われ、故郷を離れて騎手の道を志した。
「ケガもあって、なかなかうまくいかなかったけど、体重が軽いからハンデ戦でよく活躍してた。とてもまじめで、馬のことをすごく愛してた。馬がいなかったら死んじゃうんじゃないかってぐらい。そして、みんなに『いい人だ』って言われてた」