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オークスを制したミルコ・デムーロに父が遺した“人生は難しい”の教え 「もっともっと、たくさん話をしたかった」
text by
太田尚樹(日刊スポーツ)Naoki Ota
photograph by本人提供
posted2021/05/24 17:00
17年秋に来日した両親と撮ったセルフィー。13年ぶりに観戦した両親の前でマイルCSを制した
ダイワメジャーを見た父が「勝てるぞ!」って
やがてイタリア競馬が衰退し始めると、ミルコは国外へ活躍の場を求めた。20歳だった'99年に、日本でも初めて短期免許を取得。'03年にはネオユニヴァースで外国人騎手初の日本ダービー制覇を果たした。翌'04年には父を初めて日本へ招いた。
「ちょうど皐月賞の追い切りがあって、一緒に美浦トレセンへ行ったんだ。僕が乗るダイワメジャーの調教を見て『すごい馬だな! 勝てるぞ!』って。10番人気だったんだけど、本当に勝っちゃったからね。レースの日は中山に来てて『ほら言っただろ?』って威張ってたね」
長子ミルコを成功例として、デムーロファミリーは騎手一家になった。妹パメラも弟クリスチャンもステッキを握った。13歳下の弟は今やフランスでトップ5に入る名手として活躍している。
「お父さんは僕には教えてくれなかったけど、クリスチャンには5歳ぐらいからジョッキーになるために教えてたんだ。乗馬クラブにも入れてね。ずるいよね(笑)」
「もっともっと、たくさん話をしたかった」
やがてミルコはJRAの通年免許の試験に合格して、'15年から日本で暮らし始めた。欧州と違ってシーズンオフがないため、なかなか母国には帰れない。父子の対面は2年前が最後だったという。
「日本へ行くことに反対はされなかった。むしろ『イタリアを出た方がいい』って言われてた。僕もすごくさみしかったけどね。離れてからもお母さんとはテレビ電話でよくしゃべってたし、コロナで家にいる時は毎日電話してた。でも、お父さんはあんまりしゃべらない人だったから、誕生日に『おめでとう』とか、クリスマスに『メリークリスマス』とか言うぐらい。もっともっと、たくさん話をしたかった。僕と同じでワイン1杯で酔って寝ちゃうんだけど……。一緒に楽しみたかった。これ以上ない、最高のお父さん。つらすぎる」
何度も叱られ、何度も助言された。口酸っぱく繰り返されたのが「人生は難しい。簡単じゃない」。今年は春にGI2勝を挙げたが、リーディング争いには程遠い。苦しい時にこそ、父の言葉をかみしめる。
「僕は日本で頑張るしかないんだ」
幼き日に毎晩そばにあったぬくもりは、もう感じることができない。でも、信じている。たとえ目の前からいなくなっても「お父さんはきっと見てくれている」と。