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“愛されたセッター”佐藤美弥、東京五輪を前に現役引退を決意…その理由は?「たとえ周りにどう思われようと私は頑張った、って」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byNaoki Morita/AFLO SPORT
posted2021/05/20 11:02
2019年W杯やネーションズリーグでは主力として活躍した佐藤美弥(31歳)。昨年8月以降はケガが重なり、実戦の場から離れていた
迎えた2021年、それでも日本代表登録選手24名の中に佐藤の名はあった。
実際はまだ走れるようになったばかり、という状況で現実的に自分が日本代表のユニフォームを着てコートに立つイメージなど浮かばない。もしかしたら腰の状態も改善しているのではないか、とわずかな希望を抱いて病院へ行っても「手術をしなければ治らない」と告げられ、また現実を突きつけられる。
「正直に言うと、(19年の)ワールドカップが終わった時点で、自分が代表でやれる自信はなくなっていたんです。求められた結果も出せず、そもそもセッターとして自分に何が求められているかもわからない。そこで(五輪が)1年延期になった。辞めよう、と真剣に考えたこともありました。でも、それでもやっぱりオリンピックに出たかった。いや、違うな。出たい、じゃなくて、あれだけ試合に出たんだからオリンピックに出なきゃいけない、って思っていた。自分が一番、オリンピックに執着していたんです」
五輪への夢が潰えたからとはいえ、すべてが終わったわけではない。そんな言葉は佐藤にとって、ただのきれいごとだった。
「何で今なんだろう、って何回思ったか。私の気持ちなんて誰にもわからないと思っていたし、誰とも話したくなかった。応援して、支えてくれているのはわかるんです。でも夢も目標もなくなって、先が見えないのに『頑張って』と言われるのが、一番残酷でした」
佐藤をベンチ入りさせた多治見監督
リーグ途中だろうとすべて投げ出し、手術して引退しようと考えた。引き留めたのは、日立の多治見麻子監督だった。辞めたい、無理だ、と繰り返し、周囲とのコミュニケーションすら絶とうとした佐藤をあえて、コーチとしてベンチに入れた。
「プレーもできず、先が見えない。オリンピックに向けて焦りもある状況で、受け止められず佐藤本人が一番、苦しんでいたと思います。でも、そんな中でもなかなかチームが勝てず、若い子はどうしたらいいかわからない。自分の気持ちを押し殺して、周りに声をかけて、いろんなところで支えてくれるのがチームにとっては前向きな力になっていたし、どんな形であれ、1日でも早くコートに立たせられるように。チームのため、彼女のためにもできるだけコートの近くにいてほしい、と思って佐藤を(ベンチに)入れました」
最初は「心ここにあらずだった」と言う佐藤も、試合を重ねるうち、相手ブロックの状況を見極めながら「ここを使ってみたら?」と若い選手たちにアドバイスを送ると、すぐに実践して見せる姿を見て、コートに立ってプレーするのとはまた別の楽しみを味わった。
一方で、リーグも終盤に近づけば間もなく始まる日本代表の活動に心が向き、代表候補選手に選ばれてはいても、合宿にすら呼ばれない現実が重くのしかかる。
そのたび落ち込み、時には「同行するのが嫌だった時もある」と振り返るように、先が見えない日々が続く中、努めたのはとにかく今、目の前だけを見ること。ただ必死で日々を過ごし、迎えた2月21日の7位決定戦。久光スプリングスにフルセットの末に勝利した日立の選手やスタッフは涙しながら安堵した。
その輪の隅で、誰よりも泣いていたのが、佐藤だった。