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通信制高校→米国留学で肩を壊し帰国→国立大で税理士の勉強と並行して野球… 26歳145km右腕が無謀でもメジャーを目指す理由
posted2021/05/17 11:00
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Takeshi Shimizu
今まで出会った人のなかで一番、波乱万丈の野球人生を歩んできた人だと思う。
広重怜(りょう)。ポジションはピッチャー。1994年生まれなので今年26歳である。一般的には社会人生活にも慣れて、将来の目標を的確にとらえ始めるころだろうか。だが、普通のレールに乗っかる人生はそぐわなかった。
埼玉県新座市生まれの広重。小学生時、近所に“怪童”がいた。その選手は後に浦和学院の主将として2013年センバツで優勝を果たしている。一方で広重は、野球もやって勉強もしたいと考えた。学年で上位10番ほどに入る学力があったものの都内私立の進学校の受験に失敗。他の県内私立の進学コースに入った。これが、“脱・王道”の始まりになった。
「野球部のグラウンドまで遠かったんです。勉強時間が削られると進学コースでは野球部の入部を認められなかった」
やむをえず、陸上部に入った。
「将来、ピッチャーをやるために役立つかなと走ることの基礎を学ぼうと思った。なかでも瞬発系の幅跳びを専門にしました」
だが、野球の魅力には敵わない。友達とキャッチボールなどをするが、もどかしいだけ。
1年経って、単位を持ち越せる通信制のつくば開成に転校した。
まさかの全国大会辞退、そしてアメリカへ
神宮での定時制通信制の軟式の全国大会が目標になった。部員は3学年で15人ぐらい。おもに水曜と金曜の夕方4時から2時間ほど、二子玉川の河川敷で練習した。「時間は少ない。目の色が変わるほど貪欲に練習しました。楽しくて仕方なかった」という。
つくば開成は強豪で、全国大会に出られることになった。しかし、ある日、一斉メールがきて暗転する。重くるしい気分で集合時間に行ってみると……。
「お前らの態度が良くなくて、出せないという話が来ている」
辞退するしかなかった。おそらくは喫煙が発覚したか、相手へのヤジも芳しいものではなく、いい印象を持たれなかったかもしれません、と今では笑って言える。
そんなつくば開成を卒業してから、進路を考えた。
高校は卒業することになったが、硬式野球は今からできるだろうか。やるなら本場、アメリカだろうと、英語の専門学校に行ったりもした。そこで提携の学校、ニューヨーク州にあるジェネシーコミュニティーカレッジを紹介してもらう。学費も年間50万で安かった。NJCAA(ナショナル・ジュニア・カレッジ・アスレチック・アソシエーション)という短大の体育連盟に加盟しピッチングコーチが有名だという。オークランド・アスレチックスと提携もしていた。