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世界のゴルファーが東京五輪を辞退する理由 “世界ランク1位”に続きあの人気者も…それでも松山英樹は「金メダルを目指す」
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byGetty Images
posted2021/05/06 11:03
112年ぶりに競技復活したリオ五輪で金メダルを獲得したジャスティン・ローズ。ヘンリック・ステンソンとの熱戦を制した
五輪の歴史を振り返れば、第1回のアテネ大会では、ギリシャにゴルフ場が無かったためにゴルフは行なわれなかったのだが、次なる1900年パリ大会と1904年セントルイス大会では、ゴルフが実際に競われた。
しかし、ヒートアップしていたのは米国やカナダなど世界のごく一部だけだったようで、1908年ロンドン五輪では関係者の意見の相違でゴルフ競技が実現せず、以後、ゴルフは自然消滅的に五輪から消えていった。
2016年のリオ五輪から112年ぶりに五輪にゴルフが復活した背景には、ゴルフをこよなく愛する大勢の人々の10年以上に亘る涙ぐましい復帰運動があったのだが、今の時代に活躍しているどの選手にとっても、リオ五輪からのゴルフ復活が決定するまでは、「五輪」は頭の中にはまったく存在していなかった。
ジョンソンもスコットも、幼いころから米ツアーで勝つこと、メジャーで勝つことを目指してゴルフクラブを振ってきた。
リオ五輪では松山も出場見送り
その事情は、我が日本の松山にとっても同じだ。リオ五輪からのゴルフ復活が決まった当時から、松山は「幼いころから僕が目指してきたのはメジャーで勝つことなので、急に五輪で金メダルを目指せと言われても……」と戸惑いを隠せなかった。
そして、リオ五輪の際は、ブラジル一帯に蔓延していたジカ熱や現地の治安の悪化を理由に出場辞退者が続出。オーストラリアのスコットとマーク・リーシュマン、ジェイソン・デイ、南アのシャール・シュワーツェルとルイ・ウエストヘーゼン、そしてあの年のマスターズを制した英国のダニー・ウィレット、北アイルランドのローリー・マキロイらが次々に「出ない」と明言。
結局、松山もリオ五輪出場を見送った。