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【独自】“交際0日で結婚→育児してブラジル柔道監督” 藤井夫妻の7歳愛息が日本人初のフラメンゴ加入!「いつかタケフサと…」  

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHaruki Fujii

posted2021/05/05 17:02

【独自】“交際0日で結婚→育児してブラジル柔道監督” 藤井夫妻の7歳愛息が日本人初のフラメンゴ加入!「いつかタケフサと…」 <Number Web> photograph by Haruki Fujii

日本人として初めて“フラメンゴの一員”となった7歳の藤井清竹君

皮肉にも親友2人がポジション争いをすることに

 フットサルは5人制なので、ポジションごとに3~4人の枠ということになる。清竹君の本来のポジションは左のアラ(MF)だが、すでにこのポジションは埋まっており、フィクソ(CB)のポジションでテストを受けることになった。エンゾもフィクソなので、皮肉にも親友2人が同じポジションの枠を争う格好になった。

 エンゾはすでに何度も練習に参加していたが、なかなか合格を言い渡してもらえず、かといって不合格にもならず、「また次の練習にも来てくれ」と言われ続けていた。

 この日の練習が終わると、清竹君とエンゾはコーチから「また次の練習に参加してくれ」と申し渡された。そして、次の練習に参加したところ、「また次に来て」。これが繰り返された後、3月末、清竹君は6度目の練習参加で「おめでとう!合格だ!」と言われた。

「親の欲目かもしれないが、他の子供と見比べて、清竹は合格しておかしくない実力があると思っていた。ほっとしました」(陽樹さん)

 もちろん、清竹君も大喜びだった。

 ところが、4月に入るとブラジルでは新型コロナウイルスの感染がさらに拡大。リオの町は再びロックダウンに入った。フラメンゴのフットサル部門の練習も2週間中断され、ようやく4月20日、入団テストに合格してから最初の練習が行なわれた。

 この日は、入団テストの最終日でもあった。エンゾにとって、ラストチャンスだった。

第2回に続く。関連記事からもご覧になれます>

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