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【独自】“交際0日で結婚→育児してブラジル柔道監督” 藤井夫妻の7歳愛息が日本人初のフラメンゴ加入!「いつかタケフサと…」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHaruki Fujii
posted2021/05/05 17:02
日本人として初めて“フラメンゴの一員”となった7歳の藤井清竹君
「4歳の頃は、ブラジル社会への適応に苦しんでいた」
5歳にしてプロ選手を目指すようになり、以後、フットサルの練習に熱中した。
「4歳の頃は、ブラジル社会への適応に苦しんでいた。傍で見ていて、可哀そうだった。我が子ながら、よく壁を乗り越えてくれたなと……」
当時を思い出して、陽樹さんは声を詰まらせた。
昨年の3月中旬以降、ブラジルでは新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大。リオではロックダウンが実施され、幼稚園もフットサル教室も数カ月間、閉鎖された。
陽樹さんは、清竹君を近所の空き地などへ連れ出し、2人で練習したり、他の子供たちがいたら一緒にボールを蹴らせた。
10月、近所のアロウカという強豪フットサルクラブで練習が再開されたと聞き、入団させた。指導するのはプロコーチで、レベルはマンションのフットボール教室よりずっと上だった。
清竹君のポジションは、左のアラ(MF)。当初は控えだったが、やがてレギュラーに。そしてチームの中心選手となり、チームメイトに的確な指示を送るようになった。その様子を見て、他の保護者は彼のことを「CK」(カピトン・キヨ=キャプテン・キヨ)と呼んだ。
今年1月から2月にかけて、アロウカはリオ市内の強豪7チームを集めたリーグ戦に参加して2位。清竹君はほぼ全試合に出場して活躍し、1試合に5得点を挙げてリーグから表彰されたこともあった。
本田が所属したボタフォゴからも“誘い”が
対戦相手のチームの監督がボタフォゴ(リオの4大クラブの1つで、昨年、本田圭佑が所属)の下部組織の指導者でもあり、「ボタフォゴへ来ないか。君ならすぐにレギュラーになれるぞ」と勧誘された。
しかし、ボタフォゴの練習場は自宅から遠いこともあり、態度を保留した。
そんな中で2月上旬、アロウカのチームメイトで仲の良いエンゾから、「僕はCTEFFというフットサル・クラブでも練習しているんだけど、そこのコーチから推薦されてフラメンゴのU-7の入団テストを受けるんだ」と聞かされた。