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《松山英樹はどんなキャリアを?》小1で青木功の練習見学、中1・石川遼の衝撃、米国で丸山茂樹への敬意…「覆せた」の真意とは
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph bySankei Shimbun
posted2021/04/15 17:01
先人たちや同世代、支えてくれた恩師や父の思いを背負ってオーガスタに挑んだ松山英樹。試合後には感謝のコメントを残した
初めてマスターズに出てから10年。メジャータイトル獲得への期待が現実味を増し、その声が高まるたびに、松山はいつも彼らが残してきた記録と記憶を世間に呼び覚ましてきた。そして、彼自身も挑戦のたびに、壁にはね返されるたびに、先人たちの苦悩や、悔しさ、恐怖が実感として湧き出てきたに違いない。
米国での年月を重ねるにつれ、松山には強く意識し、より敬意を抱いたまた別のレジェンドがいた。
「丸山さんのPGAツアー3勝が、いかにスゴイことかをオレは証明したい」
日米を行き来しながら戦ったAON時代を経て、丸山茂樹は日本を飛び出し、PGAツアーに専念した。ウッズ全盛期を生き抜いてツアーに9年定着。松山が3勝目を挙げた2016年まで、「日本人でもっとも米国で勝った選手」の称号は彼だけのものだった。
松山の言葉は、AONと丸山への評価に日米で隔たりがあることへの違和感もあった。そこにはもちろん、孤独な戦いを続けることへの自己肯定感もあっただろう。異国での暮らし、語学、食事、移動……と環境の違いから来るあらゆる苦労は経験したものにしか分からない。
「僕はそれを覆せたと思う」
ホールアウトした後、テレビの前でむせび泣く先輩プロや恩師の何人かに、松山はすぐに電話をかけた。
ルーツを紐解けば、彼は決してひとりでこの大偉業を遂げたわけではない。すべての出会いと、世代を超えた同志たちが残した思いが血肉となった。
「日本人は今まで『できないんじゃないか』というのがあったかもしれない。僕はそれを覆せたと思う」
グリーンジャケット姿で高らかに告げたのは、先人たちの愛情と、本気の挑戦歴への感謝でもあった。
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