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内田篤人と小笠原満男が欧州で学んだこと「蹴落としてでも這い上がる精神」遠慮するとパスタもなくなる?
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph byToru Hiraiwa
posted2021/04/02 11:02
海外での経験を鹿島に還元した内田と小笠原。2人がこれからの世代へ伝えていくこととは?
内田 シャルケでダービーといえば、ドルトムントとの試合だったけど、すごかったですよ。
小笠原 ドローでは喜ばないでしょう?
内田 喜ばないけれど、内心ホッとする。ホームだったら勝たないといけないけれど、アウェイでは難しいというのがある。ホームとアウェイの感覚の違いは、比じゃないかな。
小笠原 選手もそうだけど、サポーターもすごいよね。
内田 すごいですよ。シャルケでは、両チームのサポーターが乗る電車の車両を分けて、駅からスタジアムへの道はすべて黒幕や警官が囲んで目が合わないようにして、ドルトムントの街からシャルケの街まで移動するんです。馬で囲んで隔離状態にして移動していく。
小笠原 篤人との話で印象に残っているのが、シャルケが試合をする日には街中のお店が閉まるんでしょう?
内田 そうそう。
小笠原 街のみんなが“今日はシャルケを応援する日だ”って。アントラーズもすぐには無理だろうけど、いずれそうなることが理想じゃないかなと思っていて。鹿嶋市内の飲食店の皆さんがお店を閉めて、「今日は応援に行くぞ!」ってなったら理想。その話を聞いてすごくいいなあと思って、目指すべきスタイルかなと感じたんだよね。まあ、簡単じゃないけどね。
内田 文化としてもありますからね……。
小笠原 どのチームでもそうなの?
内田 シャルケはドイツでも特に熱いチームで、ヤンチャというか……。
小笠原 愛するチームを応援するのに金なんか稼いでいる場合じゃない、っていう熱さがいいよね。
満男さんが勉強するんですか?(笑)
――海外で学んだピッチ外でのことはありますか?
内田 なんだろう……。試合に出ればみんなが助けてくれる。試合に出ないから、言葉が通じないとか、なんだかんだ言われる。でも結局、試合に出てしまえば助けるしかないから。試合に出れば後からついてくるんです。言葉がしゃべれなくて、活躍できずに帰国する日本人選手もいるけど、ただ試合に出られなかっただけ、だと思う。とにかく試合に出るか出ないか、かなあ。
小笠原 俺は結構、頑張って言葉を覚えたよ。ご飯を食べに行くのも好きだし、チームメイトと話せないのもしんどい。いつもチームで食べるメシも1時間くらいあったし、そこで1人ポツンといるのも苦痛だったからね。頑張って勉強して覚えたけど……。
内田 満男さんが勉強するんですか?(笑)
小笠原 「美味しいレストランはどこですか?」っていう言葉から覚えて、オーダーの仕方とかを覚えていったね。
内田 みんな海外に出ていくけれど、私生活では苦労しているんですよね。自分の居場所をどう作るかとかね。
小笠原 意外とサッカーじゃなくて、そっちでダメになっちゃう選手が多いよね。生活、言葉、コミュニケーション。
内田 そういうのって、大変なんですよ。明日、練習何時だっけ? とか。アントラーズの外国籍選手は、チームとしてサポート体制が整っているから、僕らがヨーロッパに行くよりも全然やりやすいと思う。
――イタリアもそうでした?
小笠原 そうだね。練習時間が分からなければ、自分で確認しないといけない。一つひとつだよね。
内田 でも、満男さんが移籍したときは難しいときでしたよね。俺らのときと違いますから。みんなが海外に出始めたときで、年に2、3人しか海外に行かなかった時代。まだ日本人が“こいつ本当にできるのか”っていう目で見られていたと思うし、さらにイタリアのサッカーがゴリゴリのときだし、人種差別もあったと思う。そういう“移籍するタイミング”もありますよね。今の海外に行く選手とは比じゃないくらい、難しい環境だったと思う。
小笠原 たしかに“日本人に何ができるんだ?”っていう目で見られていた。ただ、「ワールドカップに2回出た」という話をしたら見る目が変わった。
内田 そういうのを先輩たちが切り開いてくれて、そこにうまく俺らは入っただけだから。最初のカズさん(三浦知良選手)から始まり、本当にすごいなと思います。