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「所属がなくなってどうなるかと思った」 内村航平新スポンサー決定のウラ側とユニフォームの“あるポイント” 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2021/03/20 17:01

「所属がなくなってどうなるかと思った」 内村航平新スポンサー決定のウラ側とユニフォームの“あるポイント”<Number Web> photograph by Yumiko Yanai

記者会見にのぞんだ内村。東京五輪代表選考会を兼ねる全日本体操個人総合選手権を前に所属先が決まり、その表情は柔らかかった

内村に注目していたジョイカルのCEO

 コロナ禍で経済の先行きが不透明であるにも関わらず、迅速、なおかつ長期の新契約を結べた背景にあるのは、「体操つながり」という文脈だ。

 ジョイカルの中村靖弘CEOは7歳から18歳まで体操に励んだ元選手。ジュニア時代はセントラルスポーツクラブの体操教室に通い、全国3位になったこともある。中学卒業後は神奈川の東海大学付属相模高校に進学。高校3年の時に湘南地区で優勝し、神奈川県大会では個人総合8位、ゆか3位と活躍し、関東大会出場権を獲得した。ケガにより、関東大会は欠場したが、小1から高校まで体操に打ち込んだことで、内村のことは以前から大いに注目していた。

 中村CEOは会見で「私自身は選手のはしくれですが、内村選手を見て、体操の原点である美しい演技をしていらっしゃった。つま先もぴしっと伸びていて、これほどの方はなかなかいらっしゃらないなと思っていた」と実感をこめて語った。

「どうすれば内村選手と交流を続けられるか」

 既に内村とは17年に個人スポンサー契約を結んだ後に「逆上がり教室」を開くなど、体操の普及にも力を注いでいる。

「日本の伝統である美しい体操を、次世代につなげていく。そして体操をより多くのかたに知ってもらい広めていく」という姿勢は今後も変わらない。これは内村が目指すところとも共通している。

 実際、内村は18年にジョイカルを訪問し、中村CEOと対談した際に「体操つながりというところが僕の中では大きい」と話していた。ジョイカルとの所属契約がスムーズに運んだのも、同社の体操への理解を内村が肌で感じていたからだろう。 

 中村CEOは「内村選手から学ぶことがたくさんあった」とも語った。目標に対して逆算して物事を考え、日々のやるべきことをきっちりと計画し、実践していること。内村が最高の状態を保つために佐藤寛朗コーチやマネジメントスタッフがつねに結束して、良いチームワークを保っていること。

「だからこそ世界のトップでい続けられているのではないか。どうすれば内村選手と交流を続けられるか。そのように考えてたどりついたのが、今回の所属契約。内村選手に複数のオファーがある中で契約できてうれしく思う」と相好を崩す。

【次ページ】 新ユニフォームのデザインに笑顔も

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