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キング・ペレの息子が麻薬売買組織にハメられた? 代理人も頭を悩ます有名選手の“転落人生”、その要因とは
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAP/AFLO
posted2021/03/16 17:02
1977年頃のペレと息子のエジーニョ
麻薬売買の関与とマネーロンダリング容疑で逮捕
その後、麻薬取引関係者との交際が取り沙汰されるようになり、2005年、麻薬売買への関与とマネー・ロンダリングの容疑で逮捕された。本人は一部の麻薬取引関係者と面識があることは認めたが、犯罪への関与は否定。以後、逮捕と釈放を繰り返しながら法廷で争ったが、2014年、第一審で33年4カ月の実刑判決を受けた。
この知らせを聞いてペレは大きなショックを受け、「人生で最も悲しい出来事の1つ」とうなだれたという。
エジーニョは控訴して入獄を免れ、2015年4月、地方クラブの監督に就任した。しかし、成績不振のためわずか4試合で解任された。翌年には別の地方クラブで監督を務めたが、ここも半年で更迭された。
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2017年、第二審で刑が12年10カ月まで軽減されると、法廷で争うのをやめて服役した。2019年からは刑務所の外で社会福祉活動をすることを許され、恵まれない子供たちのためのフットボール・スクールでコーチを務めた。
ほどなく、移動の自由を制限されながらも刑務所の外で働いて夜間は自宅に留まることを許された。以後、サントスの下部組織のコーディネーターを務め、昨年からはU-23の監督として若手を育てている。
“キングの息子”と交友のある日本人がいる
この"キングの息子"と交友のある日本人がいる。かつてブラジルと日本の両国でMFとしてプレーした橋本幸一氏である。
東京都出身で15歳でブラジルへ渡り、1988年、キンゼ・デ・ジャウーとプロ契約を結ぶ。名門コリンチャンスにも在籍した後、1995年に帰国して柏レイソルなどに在籍したが4年後にブラジルへ舞い戻って地方のクラブで活躍。2002年に引退し、以後は代理人となって主としてブラジル人選手を日本、中国などのクラブへ紹介している。
そんな橋本氏にエジーニョについて、そしてブラジルフットボールを取り巻く犯罪・トラブルについて話を聞いた。
――エジーニョと知り合ったきっかけは?