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集団婦女暴行、愛人殺人、過失致死、放火…凶悪犯罪の数々 ロビーニョらブラジルサッカー選手の闇 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byNaoya Sanuki/Takuya Sugiyama

posted2021/03/16 17:01

集団婦女暴行、愛人殺人、過失致死、放火…凶悪犯罪の数々 ロビーニョらブラジルサッカー選手の闇<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/Takuya Sugiyama

エジムンド、ロビーニョら凶悪犯罪やトラブルの渦中になった選手も多い

 第一審で4年半の実刑判決を受けたが、最高裁まで争い、刑務所の外で仕事をして夜間は自宅に留まることを条件に釈放された。以後、ピッチに立つ度に対戦相手のサポーターから「人殺し」コールを浴びせられた。

 日本へ渡ったのはその後で、2001年10月、降格の危機にあった東京ヴェルディへ緊急移籍すると、貴重なゴールを決めてJ1残留の立役者となった。2002年も、Jリーグとナビスコ杯を合わせて21得点。2003年に浦和レッズへ移籍したが、ハンス・オフト監督と対立してシーズン開幕直後に退団した。

 その後、ブラジルのビッグクラブでプレーした後、2008年に引退。現在は、テレビの解説者を務めている。

自宅に放火してドイツで服役した男の名は……

 欧州の名門クラブ在籍中、自宅に自ら放火して逮捕され、ドイツの刑務所で服役した選手がいる。現在31歳のブレーノである。

 選手育成に定評があるサンパウロFCの出身で、洗練された技術と優れた状況判断力を備えた身長191cmの大型CBだった。

 2007年、17歳でデビューすると、たちまちレギュラー。この年の国内リーグで新人王とベスト11に選ばれ、「まるでベッケンバウアーのよう」、「ブラジルのフットボール史上最高のCBとなれる素材」と称賛された。その翌年には、移籍金1200万ユーロ(約16億円)でバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。しかし、ドイツでの生活とチーム戦術への適応に苦しんだ。最初のシーズンはほとんどプレーできず、2010年、出場機会を求めてニュルンベルクへ期限付き移籍した。

 当初は好調だったが、右膝靭帯を断裂した。手術を受け、長期間のリハビリを経て復帰。しかし、痛みがぶり返し、再び手術を受けた。

 再々手術を受けることになった2011年9月頃、ひどく落ち込んだ。自暴自棄になって自宅で手当たり次第に酒を飲み、「気が付いたら家がゴウゴウと燃えていた」(本人)。当時、妻子は家におらず、本人にも怪我はなかったが、豪邸は全焼。放火罪で逮捕され、3年9カ月の実刑判決を受けた。当時、21歳だった。

 2014年末に保釈され、帰国を許されて古巣サンパウロへ復帰。しかし、右膝の状態が再び悪化し、4度目の手術を受けた。

 そして2017年、バスコダガマへ移籍し、当初はレギュラーとして出場した。しかし、翌年以降は出場機会が激減。昨年末に戦力外通告を受け、以後は所属クラブがない。

 彼の場合も、途中までは理想的なキャリアを歩んでいた。しかし、新しい環境への適応に失敗し、度重なる故障もあって、精神的なバランスを崩した。それが原因で大きな過失を犯し、高い代償を支払わされたのである。

 他の中南米諸国と同様、ブラジルでも麻薬の使用と犯罪組織による麻薬取引が大きな社会問題となっている。これに関連して逮捕され、実刑を受けた選手もいる。ある超大物選手の息子である。

「キング・ペレの息子の転落」に続く。関連記事からご覧になれます)

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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