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治安警察が本拠地を家宅捜索、降格… アトレティコ暗黒期の会長がヒドい【トーレス、シメオネ体制以前の危機】
text by
フランシスコ・ハビエル・ディアス(ディアリオ・アス紙)Francisco Javier Diaz(Diario AS)
photograph byGetty Images
posted2021/02/23 17:01
ヘスス・ヒルはアトレティコ・マドリーをまさに混乱へと陥れた
降格。しかし悲劇のシーズンにはまだ続きが
試合終了を告げるホイッスルが響いた後、オビエドの旧エスタディオ・カルロス・タルティエレは、ぞっとするような沈黙に包まれた。キコは両手で頭を抱え、スタンドではファンが音も立てず泣いていた。
誰もが一言も発することなく、沈黙はいつまでも続いた。あの光景は、今後も決して忘れることがないだろう。
悲劇のシーズンにはまだ続きがあった。
5月27日。2万5000人近くのファンがバレンシアまで駆けつけたコパデルレイ決勝にて、アトレティコはスペインフットボール史に残る屈辱の敗戦を喫したのだ。
守護神が親友にかっさらわれた決勝ゴール
開始2分、GKのトニ・ヒメネスが手に持ったボールをワンバウンドさせた瞬間、それまで親友だと思っていたエスパニョールのタムードに頭でかっさらわれ、がら空きのゴールに流し込まれたのである。
これ以上残酷な負け方などあり得るだろうか。あの日トニが流した涙は、クラブ史の、そしてフットボール史の一部として、今も語り継がれている。
2部での1年目、2000-01シーズンも失望は繰り返された。ビセンテ・カルデロンが喜びを取り戻したのは、アラゴネスが監督に復帰した2001-02シーズンのことだ。この年には、そばかす顔の「エル・ニーニョ(幼な子)」も台頭してきた。
神の子トーレスに導かれ、ファンも見捨てず
アラゴネスとフェルナンド・トーレスに導かれ、アトレティコは決して失うべきではなかった1部の舞台に再びたどり着いた。おかげで2003年の創立100周年を2部で迎えることも避けられた。
あの呪われた3年間を乗り越える上で、最も大きかったのはファンの存在だ。
2部で過ごした2シーズン、アトレティコはバルセロナ、レアル・マドリーに次ぐ観客動員数を維持し、多くの試合でスタンドを埋め尽くす5万4000人の観衆の前でプレーした。
降格後、ソシオの数は2万4000人から4万2000人まで増加していた。
何があろうと決してチームを見捨てることのないファンの存在は、クラブにとって何よりも大切な財産だ。地獄のような3年間を過ごしながら、ファンの誰もがソシオを辞めることなく、ビセンテ・カルデロンに足を運び、愛するクラブを支え続けた。
こうして最悪の時は過ぎ去ったのである。