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治安警察が本拠地を家宅捜索、降格… アトレティコ暗黒期の会長がヒドい【トーレス、シメオネ体制以前の危機】
posted2021/02/23 17:01
text by
フランシスコ・ハビエル・ディアス(ディアリオ・アス紙)Francisco Javier Diaz(Diario AS)
photograph by
Getty Images
16日から始まったUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント。バルセロナ、レアルとアトレティコの両マドリー勢が覇権奪取をもくろむ一方で、バルサとレアルは現在決して順風満帆とは言えない。そんな両クラブ、そしてアトレティコの“暗黒期”について現地スペイン人記者に振り返ってもらった。第2回はアトレティコ編だ(翻訳:工藤拓)
2000年5月7日。アトレティコは1929-30シーズン以来、史上2度目の2部降格を経験した。それから1部に復帰するまでの2年間、クラブが多くのものを失っていく中で、唯一変わらない存在があった。それは何が起きても背を向けることがなかった、ファンの支えである。
1999-2002年にかけて、アトレティコはクラブ史上最大の危機に直面した。その衝撃は、その後10年近くに渡って後遺症を引きずり、ヨーロッパの地図から姿を消すほどに大きかった。
21世紀初頭に生まれ、今まさに思春期を過ごしている若い世代にとっては、嘘臭く、現実離れしたSF映画のような話に聞こえるだろう。
シメオネのもとで機能美を身につけたが
シメオネの導きによってチームとしての機能美を身につけ、国内外でビッグタイトルを争うようになった近年のアトレティコしか知らないのだから仕方ない。
私の子供たちもまた、簡単には信じてくれなかった。今年成人する上の娘は、アトレティコが2部で2年間を過ごした事実は知っていた。だが“モノ”ブルゴスがグランビア沿いのマンホールから這い上がる演出で1部復帰を表現した当時のCM映像を見せても、すぐには理解できない様子だった。
治安警察がビセンテ・カルデロンに押し入るわけがない。ホームゲームでスタンドから椅子や卵を投げつけられるなんてあり得ないでしょう。
だが娘よ、あれは夢ではなかったのだ。