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治安警察が本拠地を家宅捜索、降格… アトレティコ暗黒期の会長がヒドい【トーレス、シメオネ体制以前の危機】
text by
フランシスコ・ハビエル・ディアス(ディアリオ・アス紙)Francisco Javier Diaz(Diario AS)
photograph byGetty Images
posted2021/02/23 17:01
ヘスス・ヒルはアトレティコ・マドリーをまさに混乱へと陥れた
ラニエリ体制でバレロンら豊富な戦力だったが
1999-2000シーズンを前に、ヘスス・ヒル会長は名高い戦術家のクラウディオ・ラニエリを新監督に迎え入れた。キコ、ホセマリ、バレロン、バラハ、ソラーリら豊富なタレントを擁し、ハッセルバインク、カプデビラ、ガマーラ、トニ・ヒメネス、ウーゴ・レアル、ピリパウスカスらを新たに加えたチームには、上位進出が期待できる戦力が揃っていた。
ところが、異なるプレースタイルに慣れていたチームにイタリア式のメソッドは馴染まず、舵取りを誤ったラニエリは第5節まで初勝利を挙げることができなかった。
スタートからつまずき、最悪の結末を迎えることになったこのシーズンにおいて、唯一の明るい記憶はサンティアゴ・ベルナベウで手にした勝利だった。
ハッセルバインクが2ゴールを挙げ、3-1で制した1999年10月30日のレアル・マドリー戦は、マドリーダービーの歴史に名を残すことになる。アトレティコが次にレアル・マドリーから勝利を奪うまで、その後14年もの歳月を要したからだ。
14年。信じがたい長さである。
良くも悪くも、不可能を可能にするクラブ。アトレティコとはそういう存在なのだ。
なぜ治安警察がカルデロンの家宅捜索をしたのか
アトレティ・ファンの心臓を止めた事件は、身も凍るような冬の朝に起こった。1999年12月22日、治安警察がビセンテ・カルデロンでの家宅捜索を行ったのだ。
そんな事件がフットボールクラブで起きるのは前代未聞のことであり、報道陣はすぐさまスタジアムに殺到した。
一体、何が起きているのか。誰かが逮捕されたのか。
あの朝、スタジアムに集まった記者たちは、不安がたちこめ、永遠のように感じられたあの数時間を今も鮮明に記憶している。
ヘスス・ヒルという問題だらけの男
1987年にアトレティコの会長となったヘスス・ヒルは、唯一無二の個性を持った、問題の絶えない男だった。