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治安警察が本拠地を家宅捜索、降格… アトレティコ暗黒期の会長がヒドい【トーレス、シメオネ体制以前の危機】
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フランシスコ・ハビエル・ディアス(ディアリオ・アス紙)Francisco Javier Diaz(Diario AS)
photograph byGetty Images
posted2021/02/23 17:01
ヘスス・ヒルはアトレティコ・マドリーをまさに混乱へと陥れた
1991年にはPP(国民党)、PSOE(社会労働党)の2大政党に代わる第三の選択肢となることを掲げ、新政党(グルポ・インデペンディエンテ・リベラル、略して自身の姓である「GIL」と名付けた)を結成。同年5月にはアンダルシア州マラガにあるマルベージャの市長に当選した。
詐欺、横領、公文書偽造……疑惑のデパート
マルベージャは当時から国際的に有名で、世界中からセレブが集まる人気の観光地だった。その豪勢で華やかな世界の中心に立ったヒルはしかし、後に様々な罪状で政界を追われることになる。
1999年12月22日の朝、ビセンテ・カルデロンのオフィスは治安警察の手で細部まで捜索され、あらゆる銀行口座が調査の対象となった。クラブには被害額94億2700万ペセタ(約5600万ユーロ)に上る詐欺、横領、公文書偽造、その他組織犯罪の容疑がかけられ、ヒルは不当な形でアトレティコの経営権を手に入れた疑いも持たれた。
汚職対策局による捜査と並行し、クラブの経営権はヒルやエンリケ・セレソ副会長の手から離れ、判事が任命した管財人のルイス・マヌエル・ルビに委ねられた。
経営難の中で選手たちが集中できるわけもなく
その日を境に、アトレティコ関連の紙面は先発メンバーやハッセルバインクのゴール、キコのプレーなどに代わり、経営権を取り戻すためにヒル一族が提出した必要書類の数々、選手たちがルビに対して発した声明文などが占めるようになった。
選手たちは突然外からやってきた人間の監視下に置かれ、経営難が叫ばれる中で給料がもらえなくなる不安を抱いた。そんな状況でプレーに集中することは難しく、重苦しい空気に包まれたチームは低迷を極めていった。
こうした状況下、降格圏まで勝ち点1差となった時点でラニエリは辞任。ルビは1995-96シーズンにリーガとコパデルレイの2冠を勝ち取ったラドミール・アンティッチを新監督に据えたが、事態は好転しなかった。4月11日にはヒルが経営権を取り戻したが、その後も監査役に任命されたルイス・ロマサンタの許可がなければ何もできない制限は続いた。
そして5月7日、オビエドとのアウェー戦で降格が決まった。
2-2の状況下でハッセルバインクがPKを決め損ね、勝てる試合で引き分けるという、いかにもアトレティコらしい結末だった。奇しくもこの時オビエドを率いていたのは、後にチームを1部復帰に導くクラブのレジェンド、ルイス・アラゴネスだった。