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22年222ゴールで引退 大黒将志40歳が明かす“一番影響されたストライカー”「インザーギにイタリアのカフェで会った話」 

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栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/02/01 17:16

22年222ゴールで引退 大黒将志40歳が明かす“一番影響されたストライカー”「インザーギにイタリアのカフェで会った話」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

22年間で12チームを渡り歩いた大黒。40歳で引退を決断した

「中澤さんには、トラップがイメージと10センチでもズレると後ろから突かれた。マリノスで一緒にやってるときは、対戦するFWは大変だろうなって思っていました(苦笑)。シュートブロックが上手くて、センタリングに対してはニアを消しながら、頭を超えそうなボールもヘディングで触るとか1人2役。ファウルもほとんどなかったですからね」

Jリーグで7回“最多ハットトリック記録”

 過去の大黒のコメントを拾うと「もっとゴールをしたかった」というフレーズがいくつも出てくるが、その一言に大黒がどれほどゴールに拘っていたかが凝縮されているといえるかもしれない。

 Jリーグ史上日本人選手で最も多くハットトリックを達成しているのはジュビロ磐田の黄金期にゴールを量産した中山雅史(すべてJ1)の7回で、J2も含めると大黒も7回(J1で3回、J2で4回)で最多タイに並んでいる。

「ゴンさんはぜんぶJ1で僕はJ2の4回が入っているんで、同じとは言えないですけどね。でも1つ言えるのは、僕は栃木時代に2点取って途中交代した試合が2回あったんですけど、そのときにあと5分出させてくれとすごい思ってたんで……。山形時代にも、そんなことは何回かありましたから、もう少しだけピッチに立てていたら8回目があったかもしれません(苦笑)」

 ガンバ大阪時代の04年の天皇杯では大黒が1人で5ゴールを叩き出し、横浜FCに5-0と快勝したこともあった。

「そのときも、6点目を狙っていました。いちばん良くないのは点も入ってないのにいいプレーをしたからと満足することだと思うんですが、あのときはさすがに容赦なかったですね(苦笑)。その時のGKとのちに同じチームになったことがあったんですが、向こうは僕に点を取られたことをはっきり覚えていたのに、僕はそのGKのことなんてまったく記憶になかったですから」

憧れのインザーギにカフェで会った話

 06年から08年までの2シーズン、セリエAのトリノでプレーしたことも、大黒のその後のキャリアに大きく影響したのは間違いない。大黒自身がイタリアでゴールを挙げることはなかったが、堅守が謳われるリーグで世界各国のストライカーの動きを目の当たりにしたことは何にも代えがたい経験だった。

「F・インザーギ、クレスポ、トレゼゲ……。ジラルディーノもそうだし、クアリアレッラにディナターレにカバーニもそう。そういう選手たちがどのタイミングで、どういう動きをしているかということをピッチレベルで見られたのは奥深かったですし、本当にたくさんのことを学びました」

 最も影響を受けた1人であるインザーギとは代理人を通じて対面し、カフェでアドバイスを受けたことがあったとうれしそうに振り返る。

「インザーギは会ってみると体の線は細目で、スピードを落とさないために筋肉を付け過ぎずにいるんだなと感じました。自分も、筋トレするとすぐに“筋肉太り”する方なので、鍛えるのは腹筋と背筋だけにするとか、いろんなヒントがありました。具体的なアドバイス? ここで言うのはちょっと……。それはガンバのアカデミーに入ってもらったらきっちり教えますんで、どしどし来てもらえたらと思いますね(笑)」

(【続き】引退してやりたいことは? ガンバ大阪“コーチ”就任、40歳大黒将志の答え「モスバーガーをいっぱい食べたいけど…」 へ)

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