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71名死亡の飛行機事故から4年…シャペコエンセが2部優勝で昇格 メディアも全員泣いた合同葬での“愛”の記憶
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2021/02/02 06:00
悲劇の飛行機事故から4年が過ぎた。紆余曲折あったシャペコエンセは2部優勝・昇格を成し遂げた
「神様が地球上で最も素晴らしいチームを見たいと思って、あなたたちを天国へ召されたのでしょう」というコメントに、涙が止まらなかった。
スタジアムの周辺を歩くと小学校があり、そのフェンスに生徒たちが書いたメッセージが貼ってあった。「シャペ(シャペコエンセの愛称)、愛してるわ(緑のハートマーク。緑はシャペコエンセのクラブカラー)」という幼い筆跡に、心が震えた。
連日、クラブと市民を取材し、町中が打ちひしがれ、犠牲者を心から悼んでいるのを肌で感じた。
事故から4日後の12月3日、選手たちの遺体がブラジルへ搬送され、スタジアムで合同葬が営まれた。スタンドは、早朝から詰めかけた市民で超満員。降りしきる雨の中、棺が次々にピッチへ運び込まれると、皆、泣きながら「カンペオン・ヴォウトウ!」(チャンピオンが帰ってきた)のコールで迎えた。
遺族が、愛する人のユニフォームを
ローマ教皇が、FIFA会長が、世界的なスター選手が、直接会場に訪れたりビデオで追悼の辞を述べた。すべてのセレモニーが終わったとき、予定になかったことが起きた。
それまで棺に取りすがって泣いていた遺族たちが、愛する夫の、父親の、兄弟の写真やユニフォームを頭上に掲げ、号泣しながら、しかしどこか誇らしげにピッチを行進したのである。
さらに、コパ・スダメリカーナの終盤戦に数々の奇跡的なセーブでチームを救った守護神ダニーロの夫人が亡き夫が死守したゴールへ歩み寄り、中に彼のユニフォームを置いて祈りを捧げた。スタンドから言葉にならない声が上がり、大きな拍手が起きた。
誰もが泣きながら仕事をしていた
この合同葬は世界各国から駆けつけた1000人を超えるメディア関係者が取材したのだが、誰もが泣きながら仕事をしていた。
僕も、その中の1人だった。冷たい雨を浴びながら、「これは涙雨に違いない。天も泣いている」と思った。この日のことは、一生、忘れないだろう。