熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
71名死亡の飛行機事故から4年…シャペコエンセが2部優勝で昇格 メディアも全員泣いた合同葬での“愛”の記憶
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2021/02/02 06:00
悲劇の飛行機事故から4年が過ぎた。紆余曲折あったシャペコエンセは2部優勝・昇格を成し遂げた
2016年11月29日未明(ブラジル時間)、南米第二のカップ戦であるコパ・スダメリカーナの決勝第1レグを戦うためコロンビアへ向かっていたシャペコエンセのチャーター便が電気系統の故障や燃料不足などで制御を失い、山岳地帯に墜落。乗客・乗員77人のうち71人が死亡した。
選手19人、監督・コーチ14人、サンドロ・パラオーロ会長らクラブ幹部9人、招待客2人、メディア関係者20人が犠牲となる世界フットボール史上稀にみる大惨事だった。
わずか5年で4部→1部の「奇跡のクラブ」
シャペコエンセは、ブラジル南部の人口約22万人の町シャペコに本拠を置く1973年創立のクラブだ。ビッグクラブの多くが100年以上の歴史を誇るブラジルでは新興の部類に入り、年間予算はトップクラブの数分の一でしかない。
2009年、全国リーグ4部に初参戦し、すぐに3部へ。2012年に3部で3位に食い込んで2部へ上がり、2013年に2部で準優勝して悲願の1部昇格を達成。わずか5年で4部から1部まで駆け上がるのは、世界でも稀だ。2016年後半、コパ・スダメリカーナで南米の強豪を次々に撃破して決勝へ進出。「奇跡のクラブ」と呼ばれ、市民の大きな誇りとなっていた。
事故の第一報が流れると、大勢の市民が心配してスタジアムへ集結。ほんの数時間前まで夢想だにしなかったおぞましい知らせに、皆、泣き崩れた。学校では、生徒も先生も激しく動揺して授業にならない。市内のすべての学校が4日間休校となり、シャペコ市は30日間、喪に服すると発表した。
翌日、筆者はシャペコへと飛んだ
900kmほど離れたサンパウロに住む僕は、早朝のテレビニュースを見て「これはえらいことが起きた」と驚き、翌日、シャペコへ飛んだ。
スタジアムの通路に、市民からの追悼のメッセージや花束が集められた一角があった。そこには、この小さな町の小さなクラブへの人々の愛情が充満していた。