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プレミアの“消えた天才”たちの今 素行不良でマンU→渡り鳥人生、計4年離脱した“ガラスの足首”…
text by
三重野翔大Shodai Mieno
photograph byGetty Images
posted2021/01/23 17:02
モリソン(左)とウィルシャーは10代の頃に受けた期待からすると、遠く離れたキャリアを歩んでいる
2010年10月、モリソンは17歳にしてEFLカップのウォルバーハンプトン戦でトップチームデビュー。ポグバやキーンを差しおいて、いち早くオールド・トラッフォードに姿を現した。
名将ファーギーをうならせる才能だった
名将ファーガソンを唸らせ、今やプレミアリーグの第一線で活躍するポグバらをも凌ぐ才能。しかしその一方で素行不良による問題行動が相次いだ。
2011年に2件の証人脅迫罪で有罪となり、12カ月の付託命令、その費用と1445ポンドの賠償金の支払いを命じられた。その後、口論の最中にガールフレンドの携帯電話を窓から投げ捨てたことが法廷で明らかになり、その年の後半にはDVのカウンセリングを受けている。
日頃から不良仲間と行動を共にしていることもあってか問題行動は絶えず、デビューからリーグカップ3試合に出場したのみで11-12シーズンの冬にウェストハムに移籍した。
のちにファーガソンは当時のことを「2012年に彼をウェストハムに売却したのは非常に痛かった」と嘆きつつも、「何年もの間にピッチ外での問題はエスカレートし続け、我々にはコードを切る以外の選択肢はほとんどなかった」と振り返っている。
しかしウェストハム在籍中の2014年には女性2人への暴行容疑で起訴されるなど、素行は改善の兆しがみられず、おまけに契約に関して当時監督のサム・アラダイスとの確執も報じられた。再起をかけたハマーズ移籍は失敗に終わったのだ。
ラツィオなど渡り歩いたが鳴かず飛ばず
その後はイングランドだけでなくラツィオ(イタリア)、アトラス(メキシコ)、エステルスンドFK(スウェーデン)など国外のクラブも渡り歩いたが、いずれでも目ぼしい活躍をみせることはできなかった。
19-20シーズンにはシェフィールド・Uに移籍し、5季ぶりにプレミアの舞台に戻った。しかし、昇格組ながら快進撃をみせたチームにあって、クリス・ワイルダー監督の確立したスタイルに馴染むことができず。シーズン後半は2部ミドルズブラにローンされるも、そこでもわずか3試合の出場にとどまった。