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【箱根駅伝】青学大・原監督が大会直前に泣いた日 “走れなかった主将”神林の本音「なんで自分なんだ…」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKYODO
posted2021/01/03 19:50
前回大会の9区で力走する青学大・神林。区間賞を獲得し総合優勝に貢献した
「あのあと、気持ちが切れてしまったんですよね」
憧れの箱根駅伝で走る夢が目の前からするりとこぼれてしまい、自分に失望し、それが態度に出てしまった。当時の主務がいう。
「神林、あそこで気持ちが切れてなければ、まだチャンスあったんですけどね。自分でダメだと思ってしまったみたいで」
まだまだナイーブだった。
2年生の時は、史上最強チームとの呼び声もあるなかで、神林はポジションを獲得することが出来なかった。
それでも、この経験が彼を強くする。3年生になり、ケガがあったものの、出雲駅伝では4区区間賞を獲得し、チームの主力として活躍するようになった。全日本では区間9位と一歩後退したが、11月、12月の練習で結果を残し、神林は念願かなって箱根でも9区を走る。晴れの舞台で区間賞を獲得し、総合優勝に貢献する。
「なんで自分が走れないんだ?」
そして最終学年、神林は主将となった。ところが、コロナ禍に見舞われ、チームが目標を失いそうになる状況で、同級生たちとともに練習でのスタンダードを下げないように毎日を過ごした。
「もしも箱根駅伝が開催されなくとも、後輩たちから『神林さんの学年、頑張ってたよな』と言ってもらえるよう、練習も、私生活も律してきたつもりです」
徐々に競技会が戻り、11月1日の全日本大学駅伝の7区では留学生を抑えて区間賞を獲得した。競技生活からの引退を惜しむ声も聞こえていたが、いよいよ競技生活のフィナーレ、箱根駅伝が近づいていた。ところが、仙骨の痛みが引かなかった。
本来は箱根駅伝に向けた年末、それは最後の調整期間になるはずだった。
「選手の立場だったら、本当に時が“秒”で過ぎていくような時期なのに、今回ばかりは一日が長くて、長くて」
部員の前では気丈にふるまっても、本音ではケガを呪った。
「10年間で一度も疲労骨折はなかったですし、『なんでよりによって今なんだ? なんで自分なんだ。なんで自分が走れないんだ』とは思いました」
原監督はいう。
「神林の人生で、これほど苦しいことはもう起こらないと思います」
ナイーブだった1年生が、精悍なリーダーに成長した4年間。
おつかれさま、という言葉だけが思い浮かぶ。
2020年度、青学大キャプテンの未来に幸あれ。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。