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少年院を出た18歳の朝倉未来はなぜ総合格闘技の道に入ったのか…弟・海との“伝説のスパーリング”もその時に 

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朝倉未来

朝倉未来Mikuru Asakura

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photograph by©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA

posted2020/12/27 11:04

少年院を出た18歳の朝倉未来はなぜ総合格闘技の道に入ったのか…弟・海との“伝説のスパーリング”もその時に<Number Web> photograph by ©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA

朝倉未来は弟・朝倉海が格闘家になった経緯についても詳細に記している

 俺は電話をかけ、「また体験をさせてください」と申込みをしていた。

 俺が出院後に仲良くなり、よく一緒につるんでいた拓馬にも「めちゃくちゃ面白いところがあるぞ、一緒に行こう」と誘ったほどだ。

 最後に三度目の体験稽古を経て、俺は禅道会に入ることを決めるのであった。

 そこで俺は、未知の世界だった寝技の練習をするのとともに、ウェイトトレーニングなどの基礎的な訓練を始めたのだ。

 今でこそ全くウェイトトレーニングはしていないが、スパーリングだけで問題ない身体を作り上げる上では、この時期に基礎的な訓練を行って、身体のベースを作ったことが効いているかもしれない。

 2011年の9月のことだった。

本気で殴ったが、弟は全部回避した

 ちなみに、その半年ほど後に、あの伝説の路上のスパーリングを行った。

 俺が弟の海を呼びつけてその才能を推し量ろうとした、あのスパーリングである。

 ある日、自分にこれだけ格闘のセンスがあるのなら、同じ血を引いている弟も同じようなセンスがあるのではないか、と考えたのだ。

 俺はいつも練習していた家の前の路上に弟を呼び出した。

 そして薄いグローブを「これ着けろ!」と渡すと、他には大した説明もなくいきなり殴りつけてみた。

 失神させてやろうかと結構本気で殴っていったのだが、何と弟は全部回避したのだった。

 身のこなしもよかったが、映画『マトリックス』で反り返りながら弾丸を避けるシーンがあるが、ああいう上半身の動きもよく、やはり、予想通りのセンスが感じられた。

 なので「一緒に格闘技をやろう」と、その場で弟を誘ったのだった。

 これが、後に日本中に名を轟かす格闘家・朝倉兄弟の誕生の瞬間だったと言えるかもしれない。

 俺は海を「俺よりも才能があるかもしれない」と言うことで、翌日、道場に連れて行った。

 すると、その天才的な身のこなしに、道場のみんなが「神」と驚いていた。「本当の天才が来た」と言われていたのである。その後の活躍を見れば、この評価は極めて妥当だったと言える。

 こうして弟も禅道会に通うことになった。

 2012年の3月、弟がまだギリギリ高校の制服を着ていた頃のことである。

【前回を読む】「小学生時代は地獄だった」朝倉未来が明かす“伝説の原点” 気の弱い少年を父親はどう変えたのか へ

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