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少年院を出た18歳の朝倉未来はなぜ総合格闘技の道に入ったのか…弟・海との“伝説のスパーリング”もその時に
text by
朝倉未来Mikuru Asakura
photograph by©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA
posted2020/12/27 11:04
朝倉未来は弟・朝倉海が格闘家になった経緯についても詳細に記している
喧嘩相手がすぐにいなくなり、寂しさを感じていた
俺を使わないなんてなんて愚かなんだ、ともちろん思った。
とはいえ、格闘家としての実績は全くなかったのも事実だった。
そこで、取り敢えず”リアルアウトサイダー”をやろうとか言って、家の周りで喧嘩じみた格闘技の練習を始めた。
岡くんともガチで殴り合った。
岡くんだが、俺をTHE OUTSIDERに出させたいばかりに参戦したいフリをしているのかと思いきや、何やら俺の姿を見ると「やっぱり俺の方が強いんじゃね?」と勘違いするのだった。
そこで練習したところ顔にクリーンヒットが入って普通に失神してしまった。
どうして人は見かけによらないということを未だに学んでいないのだろうか。
それはそうと、格闘技のような動きをするのはとても楽しく、やはり自分にはセンスがあると思われた。
ということでまた昔の血が騒ぎ、喧嘩相手を探すのだが、ちょっとくらいはいた気もするが、すぐに相手がいなくなってしまった。
誰も相手をしてくれないということに、寂しさを感じていた。
そこで、より強い対戦相手を求めた俺は、「やはり格闘技をやっている人なら少しは強いだろう。特に、総合格闘技なら路上の喧嘩に近いだろうから面白いかもしれない」と、道場に挑むことにしたのである。
そして、豊橋には総合格闘技を教えているところは一つしかなかった。
それが、禅道会豊橋道場だったのである。
朝倉未来がコテンパンにされた日
俺はさっそくそこに電話をかけた。
「すみません、僕は空手二段なのですが、もう僕よりも強い相手がいないので、体験をさせてくれませんか?」
すると、電話先の相手はこう言った。
「僕は空手三段だけど、多少は君の相手になると思うよ」
それで、体験稽古の予約を取ることができた。
その相手が、豊橋道場の支部長だった宮野勝吉さんである。
で、実際に赴いてスパーリングしてみると、なんとボコボコに負けたのである。
それまで負けなしだった俺がなぜ負けてしまったのかというと、寝技に全く対応できなかったのだ。
それはもうコテンパンにされた。
それこそ、30回くらい締め上げられた覚えがある。
路上の喧嘩では寝技なんてやることもやられることもなかったので、本当に全く未知の世界だった。
自信を打ち砕かれた。
目の前の人は、一見すると、不良でも何でもない、普通の真面目な人だ。
でも、もし路上で喧嘩になったのなら、こんな人に寝技でやられていたんじゃないか?
俺は自分のことを最強だと思っていたけれど、実は最強じゃなかったのか?
俺は負けていたかもしれなかったのか?
だとしたら、自分のことが許せない……。
そんな悔しさを抱えて俺は帰った。
だが、後からすぐに嬉しさがこみ上げてきた。
もっと強くなれると思ったのだ。
自分のことを許せないなら、寝技を、格闘技をしっかりやろうという気持ちになったのだ。