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少年院を出た18歳の朝倉未来はなぜ総合格闘技の道に入ったのか…弟・海との“伝説のスパーリング”もその時に
text by
朝倉未来Mikuru Asakura
photograph by©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA
posted2020/12/27 11:04
朝倉未来は弟・朝倉海が格闘家になった経緯についても詳細に記している
意気込んで応募した1回目は落選した
ところが、話はそう簡単には進まなかった。
というのも、1回目の応募では何と落選したのである。
俺が書類で「得意なのは喧嘩」というぐらいしか、ろくな情報を書けなかったというのはあるのかもしれないが、それ以前に、THE OUTSIDERの人気がめちゃめちゃ沸騰していたのである。
2010年というのがどういう時期だったかというと、格闘技の人気が落ち込んでいた頃合いだった。
2000年台初頭は、K-1によって格闘技人気が頂点に達していた。
総合格闘技団体としてPRIDEも登場し、様々なヒーローも誕生していた。
だが、K-1の脱税事件や、選手の引き抜きを巡る団体同士の衝突などで格闘技人気に水が差され始めていた。
HERO'SやDREAMといった後継の興行も生まれたが、絶頂期と比較すれば、テレビなどで扱われる、メジャースポーツの一角としての格闘技人気の衰退は、明らかだった。
そんな中、アンダーグラウンドの格闘技興行として2008年に産声を上げたのが、THE OUTSIDERだった。
チャンピオンになったら一億ぐらい稼げるという噂も
プロを集めた興行ではなく、あくまでもアマチュア、セミプロの大会だったが、不良の最強を決めるというコンセプトが非常に魅力的で、全国的な人気を博していたし、試合映像を収めたDVDも、全国津々浦々で手に入れることができた。
単なる街の不良ばかりでなく、"アウトローのカリスマ"と呼ばれ全国区の知名度を誇っていた瓜田純士が参戦しているなど、単なる草の根の格闘技大会ではなく、本当に不良の頂点を決めることができるのだ、という風格もあった。
これは今となっては根も葉もない噂だったが、THE OUTSIDERでチャンピオンになったら、一億ぐらい稼げるという噂も流れていたのだ。
これは絶対にやるしかない、と思ったのは俺ばかりではなかっただろう。
そういうわけで、THE OUTSIDERは、見に行きたい人も多い興行だったが、それと同時に、出場したい奴が多い大会でもあったのだ。
聞くところによると、自薦での出場志願が毎回500人を超えていたそうだ。
一回の大会では多くても40人くらいしかマッチアップできないから、常に出場志願者が溢れていたということになる。
そして俺も、最初はその溢れた側に入ることになった。