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【引退】“ら”から這い上がった曽ケ端準の23年間 ジーコが語った「すべての選手はソガを目指すべき」 

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池田博一

池田博一Hirokazu Ikeda

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2020/12/24 20:00

【引退】“ら”から這い上がった曽ケ端準の23年間 ジーコが語った「すべての選手はソガを目指すべき」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

現役引退を表明した曽ケ端準。常勝軍団を最後尾から支え続けてきた

99年5月のデビュー戦は完封勝利

 1998年にアントラーズユースから昇格してプロ入り。初出場は2年目だった。1999年5月8日、アビスパ福岡戦。先輩である柳沢敦の地元・富山県で行われた試合だ。同期の中田、本山、小笠原はすでにデビューしていて、「早く出たい」と思っていたなかでチャンスが巡ってきた。

「試合が始まって、まずボールにさわりたいと思っていたところで奥野(僚右)さんがバックパスをくれた。あれで落ち着くことができました」

 終始攻め続け、大きなピンチもなく3-0でデビュー戦を勝利した。

 その後、2001年ファーストステージの途中からスタメンに定着。この年、ジュビロ磐田を相手にチャンピオンシップを制し、初めてピッチ上でタイトルを獲得した。その後は鹿島アントラーズの守護神として長くゴールを守り続け、数多くのタイトルを手にした。2004年にオーバーエイジとしてアテネ五輪、2002年には日韓ワールドカップメンバー入り。日本を代表するGKの1人として君臨し続けた。

鹿島の先輩たちに学んだ姿勢

 転機は2015年に訪れた。

 2015シーズンの開幕戦でスタメンから外れ、2007年から続いていた連続フルタイム連続出場は、Jリーグ記録となる244で止まった。

「スタメンで出始めてから、常に年上の選手がいる状況だった。小澤英明さんが長く現役を続けていて、試合に出られなくても必死にやっている姿を目の当たりにしてきた。試合に出ながら、年上の選手がやっている姿を見て、試合に出ているかどうかではなく、常にやるべきことをやらなければいけないということを学んできた」

 腐らず、日々のトレーニングに集中した。一時は佐藤昭大にポジションを奪われたが、再び奪い返す。クラブワールドカップでは決勝でレアル・マドリーと対峙。いまだに連続フルタイム出場の記録は破られていない。

「2015年に自分が出られない立場になったけれど、必死に“ポジションを取り返すんだ”という気持ちでやっていた。そこは上の選手を見て学んだところ」

 これまで即戦力のGKが加入することはなかった。しかし2017年、クォン・スンテが加入。韓国代表であり、AFCチャンピオンズリーグを制した実績や実力は申し分ない。それでも一度はポジションを奪われながら、またも奪い返した。常に“何クソ”という思いで、試合出場にこだわった。

永木「ソガさんのはすごい」

 鹿島アントラーズでは、シーズン始めに鹿島神宮へ必勝祈願を行うのが恒例となっている。その際に、全選手が絵馬に目標を自ら記す。そこにも試合出場へのこだわりは表れる。

「全試合フル出場」

 曽ケ端は毎年こう書いてきた。

「優勝を一度も経験することなく、現役を引退する選手が多くいるなか、試合に出て多くのタイトルに貢献してきた。それはやっぱりうれしいし、達成感がある。でも、少しも満足していない。もっと優勝したい、もっと成長したい。そう思いながらやっている」

 チームメイトの永木亮太は、近くでその姿勢に刺激を受けてきた。

「プロの選手はみんな負けず嫌い。それはベースにあるけれど、ソガさんのはすごい。40歳を過ぎてもギラギラしているのを感じる。だからこそ、これだけ長くトップレベルで続けられたんだと思う。見習うべきお手本です」

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