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【引退】“ら”から這い上がった曽ケ端準の23年間 ジーコが語った「すべての選手はソガを目指すべき」 

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池田博一

池田博一Hirokazu Ikeda

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2020/12/24 20:00

【引退】“ら”から這い上がった曽ケ端準の23年間 ジーコが語った「すべての選手はソガを目指すべき」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

現役引退を表明した曽ケ端準。常勝軍団を最後尾から支え続けてきた

ジーコが曽ケ端へ贈った言葉

 12月24日、曽ケ端は現役引退を発表した。

 現役最後の公式戦は8月5日のYBCルヴァンカップ川崎フロンターレ戦となった。好きな赤いスパイクを履いてのプレー。同大会は、2001年ニューヒーロー賞をGKで唯一受賞した縁のある大会でもあった。

 鹿島アントラーズの礎を築いたジーコ・テクニカルディレクターは曽ケ端をこう評す。

「アントラーズのすべての選手がソガを目指すべきだろう。常に勝利のためにすべてを捧げ、選手としても人間としても、模範となる選手だった」

 曽ケ端自身、目指す選手像は「負けない選手」だった。

「そいつが試合に出ていれば負けないという選手を目指してきました。何点取られても、ミスしてもいい。“あいつが出ているとなんか勝つよね”、それでいい。そうなると変えられないし、試合に使われるんです」

 まさにジーコが常々語る「サッカー選手としての価値はタイトルの数にある。引退後は獲得したその数が履歴書となる」という言葉と、自ら目指す選手像の両方を体現して現役を終えた。

 振り返れば、“ら”の1文字で扱われた男が、アントラーズで一番最後まで現役として残った。

「何が起こるかわからないですよね。これまで“何クソ”と思ってやってきたからこそ、ここまで来られたんだと思います」

 2020年12月24日。

 常に優勝を義務付けられるアントラーズで23年間プレーしてきた。史上初の3冠、3連覇、クラブ悲願のアジア制覇。アントラーズの栄光は、曽ケ端とともに築かれてきた。全公式戦出場数746試合、手にしたタイトルは17個。日本でもっともタイトルを獲った、プロ中のプロがスパイクを脱いだ日となった。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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