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由規インタビュー 2度目の戦力外通告、トライアウトでも声はかからず…でも「まだまだ投げられる」

posted2020/12/23 11:02

 
由規インタビュー 2度目の戦力外通告、トライアウトでも声はかからず…でも「まだまだ投げられる」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

12月7日のトライアウトに参加した由規。NPB球団からの連絡はなかったが、まだ野球を続けることを諦めないと力強く語った

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田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

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Nanae Suzuki

2020年シーズン限りで東北楽天ゴールデンイーグルスを退団した由規。初めて参加したトライアウトではホームランを浴びるも、全盛期を彷彿とさせる伸びのあるストレートや鋭いスライダーで三振を奪ってみせた。しかし、期限を過ぎてもNPB球団からの連絡がくることはなかった……。愛する神宮のマウンドでよみがえったもの、そしてケガを抱えた中でも獲得に動いてくれた楽天への感謝。来季の去就が未定のなか、熱い想いを語った。全3回の#1(#2、#3へ続く)
◆聞き手/田中大貴

――トライアウト(12月7日)の登板、お疲れ様でした。改めてトライアウトを受けようと思った理由から教えてください。

 単純に現役でプレーすることを諦められなかったことが大きいです。

――ヤクルトを戦力外になった時(2018年10月)はトライアウトを受験しませんでした。今回、楽天を戦力外になった心境は少し異なるのでしょうか?

 ヤクルトのときはケガをして投げられない状態だったんです。そういう意味で言うと、改めて(現役続行の選択は)無謀だったなと思います。でも僕の中では、甘い考えかもしれないけど、ケガをして投げられなくても、1年しっかりリハビリする環境さえあれば、戻れるという気持ちがあったんです。だからこそ「現役続行」という道を選んだ。別の道に進むのは今じゃないという気持ちが強かったですし、言い方は悪いですが、辞めることの方が簡単な選択でした。

 そんなときに手を差し伸べてくれたのが楽天でした。地元(仙台育英高校出身)の球団でしたし、楽天にとってもリスクがある判断だったと思いますが、リハビリをすれば治ると見込んで引き受けてくれた。育成契約という形ではありましたが、本当に環境も良く、たくさんの力を注いでいただきました。

――あの時に「辞める」選択をしなかったことは間違いではなかった?

 そう思っています。だから、今はまだまだ投げられるのに引退するという気持ちにはなれないんです。

「ある程度の覚悟はしていました」

――投げられない状態で契約してもらった過去があって、今は投げられる状態で自由契約になった。とても難しい心境だと思います。楽天とは2年契約でしたが、来年以降に向けてどんな思いでプレーしていたのでしょうか?

 今年は試合数が少なくなった影響があったり、一軍に呼ばれる機会もなかったので、自分の中ではある程度の覚悟はしていました。ただ、どちらにせよ、限られた機会でも結果を残さなければいけないし、周囲は自分に対してケガの印象もあったと思うのでそれも払拭したかった。楽天に対しても、他球団に対しても、なんとかアピールは続けなきゃいけないという気持ちでプレーしていました。

――石井一久さん(GM兼監督)からは何か言葉をかけてもらいましたか?

 野球をやるにしろ、辞めるにしろ、「何かあったらいつでも連絡してこい」という話はいただきました。とてもありがたいことですし、楽天にはケガをしているにもかかわらず獲得してもらったので本当に感謝しかありません。ここまで投げられるようになったのは、あのとき楽天が声をかけてくれたからこそだと思っているので。

【次ページ】 新庄剛志のハツラツさ、神宮のマウンド

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