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「よくもオレをクビに…」プロ野球トライアウト 由規、宮國…私がボールを受けた“6人”、戦力外通告の「その後」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/16 17:25
楽天から戦力外通告を受けた由規(31歳)
【3】「真っ暗闇を自転車で…」松田遼馬(元ソフトバンク)
東明大貴に続いてマウンドに上がった松田遼馬(元ソフトバンク)は、波佐見高(長崎)の3年生の時にボールを受けた。武田翔太(ソフトバンク、当時・宮崎日大高)と並ぶ九州トップクラスの剛腕と評判だった。
野球部のためにある校庭みたいな広大なグラウンド。ブルペンで受けた松田遼馬の速球はガツンと重く、それ以上にタテに垂直落下するパワーカーブのスピード感に驚いた。
武田翔太のカーブも地面に突き刺さるみたいな「怖さ」があってビックリしたが、「遼馬カーブ」だっていい勝負だった。
取材が長くなって、すっかり陽の暮れたグラウンドを、駐車場まで送ってくれた。
大丈夫ですか?と彼の声は聞こえても、何ひとつ見えない息苦しいほどのまっ暗闇の中を、ぐんぐん距離を開いていく(ように思えた)松田遼馬。
(その暗いなかを)これから自転車で帰ります……という声に、こういう土地で育ち、生きている人の強さって、軟弱な都会人にはわからないだろうな。
そんなことを思いながら、手探りでレンタカーにたどり着いた。
【4】「野球しかできないんですよ」内竜也(元千葉ロッテ)
トライアウトは、昼休みを挟んで「午後の部」になった。午前と同じ、投手1人に打者3人のシートバッティングが続く。
午後の4人目に、内竜也(元千葉ロッテ)が登場した。
プロで17年「ロッテ」ひと筋、ちょっと前までチームの守護神を務めたほどの成功者である。立派に「プロ野球選手」を全うしていると思うのだが、それでも「トライアウト」なのか……。
とも思ったが、60過ぎてまだ150キロ近いボール受けてる身としては、ある意味、とても頭が下がる。
県立川崎工業高校(現・川崎工科高)で、内は当時「公立の星!」と注目され、145キロ前後をビュンビュン投げまくっていた。南武線の駅から昔ながらの商店街を抜けたにぎやかな場所にあって、そんな“凶暴な”ボールを受ける気持ちになかなか切り換わらず、困ったことを覚えている。
不思議と体が動かず、真横に吹っ飛ぶようなスライダーに全く反応できなかったのは情けなかった。
そんなにゴリゴリやる野球部でもなく、会って話してみると、穏やかですごく優しい高校生だったから、地道な道を勧めてみたら、
「自分、ほんとに野球しかできないんですよ。ほんとに、ほんとなんです。勉強なんか、ぜんぜんわからないし」
笑いながらそんなこと言うから、少し心配になったが、そこからプロ17年。人の一生なんてわからない。
トライアウトでは、全盛期みたいに150キロなどもう出ない。スピードは140キロあるかどうか。タイミングを外しながら低めに集め、内野ゴロ2つに、フォークで空振り三振も奪った。
「ピッチングっていうのは、こういうもんなんだよ」
いつもそうしているように、何ごともなかったようにマウンドを降りていった。