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早大野球部「楽天でもマー君みたいになるんじゃね?」 ドラ1早川隆久が高卒プロ入りを諦め、“155km”無双するまで
posted2020/12/15 17:02
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
見知らぬ視線と声が、格段に増えた。
街を歩いていると、野球ファンらしき人間が何度も自分を見返してくる。練習などで大学の野球場に行けば、帽子や色紙を片手に出待ちするファンもいる。
あの日を境に、早稲田大学・早川隆久の生活は「だいぶ変わった」という。
「人に見られているって思うと、行動に気をつけないといけないな、とは感じます」
ドラフト会議当日の10月26日。野球部の安部寮で指名を待っていた早川は、どこか他人事のようにテレビ画面を見つめていた。
ストレートの最速は155キロ。完成度の高さから「アマチュアナンバー1投手」と注目を浴びていることを認識しながら、その興味は自分ではなく、明治大の入江大生や慶応大の木澤尚文、法政大の鈴木昭汰ら、しのぎを削ってきたライバルたちの行方だったのだという。
自分が主役のひとりなのだと気づいたのは、運命が決まる直前だった。
ヤクルト、楽天、西武、ロッテ。各球団の代表者が抽選箱の前で封筒を手にしたとき、早川の胸の鼓動が急速に高まった。
思わず「あっ!」
あっ!
反射的に心の声が弾んだ。
4球団による競合の末、早川との交渉権を獲得したのは楽天だった。
ドラフト注目の投手が胸中を語る。
「ヤクルト、西武、ロッテは関東の球団なんで、馴染み深い感じだったんですよ。そこで『東北楽天』って決まった瞬間に、思わず『あっ!』って。何かの縁を感じました」
石井一久GM(来季から監督兼任)が、父親の名が「隆」で、自分の名には「久」がついており、早川「隆久」と縁があると述べたこと。昨年まで2年連続でクジを外した右手ではなく、利き腕の左手で自分を引き当ててくれた。何より同じ千葉県出身。スカウト部長の後関昌彦も同郷の先輩で、担当スカウトの沖原佳典が、社会人のNTT東日本時代を千葉で過ごしたことにも縁を感じた。
「宮城県に招かれたというか……」
自らの人生からも宿縁を感じている。
2006年、小学2年の夏。甲子園決勝で、早稲田実・斎藤佑樹と駒大苫小牧・田中将大の投げ合いに魅了された。