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【衝撃の降格】キングカズ、遠藤保仁、松井大輔、パクチソン…「2000年の京都サンガ」を知っていますか? 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byJ.LEAGUE

posted2020/12/17 11:01

【衝撃の降格】キングカズ、遠藤保仁、松井大輔、パクチソン…「2000年の京都サンガ」を知っていますか?<Number Web> photograph by J.LEAGUE

キャプテンマークを巻いてチームの先頭に立った“キング・カズ”の後方には、のちにワールドカッププレーヤーとなる選手が3人もいた

 第2ステージは8月19日の10節を最後に中断された。9月にシドニー五輪が開催され、U-23日本代表がベスト8に食い込んだ。翌10月には日本代表が、アジアカップ優勝を成し遂げる。京都からは遠藤がシドニー五輪代表のバックアップメンバー入りし、望月がアジアカップに出場した。

 11月8日に再開され、その2試合目に京都は鹿島アントラーズと激突する。エンゲルス監督は遠藤、望月、朴、平野を中盤で起用し、カズと松井に2トップを組ませた。

 将来性豊かな若手と経験を積んできた中堅、それに絶対的存在たるキングの競演である。魅力ある布陣と言うことができたが、鹿島はこの年の年間王者に輝くチームだ。中田浩二、鈴木隆行、本山雅志に得点を決められ、1対3で敗れた。

 翌節はジュビロ磐田に2対3で競り負けた。1分にブラジル人FWヘジス、29分にカズがネットを揺らして2対0とするが、ラスト15分からの3失点で試合を引っ繰り返されてしまった。試合後のカズは険しい表情を浮かべ、絞り出すように語った。

「こういう試合を取らないと、上には行けない」

 第2ステージは6勝1分8敗まで持ち直したが、年間総合順位で15位に終わった。最下位の川崎Fとともに、京都はJ2へ降格してしまうのである。

2020年京都サンガ降格の《その後》

 クラブから0円提示を受けたカズは、ヴィッセル神戸に迎えられた。望月もカズと同じ決断を下し、平野はジュビロ磐田の一員となる。

 遠藤はガンバ大阪のユニフォームを選んだ。翌02年に監督となる西野朗のもとで、ガンバの中心選手として一時代を築いていく。

 01年も引き続き京都でプレーした朴と松井は、雌伏の時を経てヨーロッパへ新天地を求める。朴は02年の日韓W杯での活躍を評価され、03年元日の天皇杯優勝を置き土産にPSV(オランダ)へステップアップした。松井は04年アテネ五輪でU-23日本代表の背番号10を背負い、同年9月にフランス2部のル・マンへ移籍した。

 かくも魅力的なタレントが集ったのは、ちょっとした奇跡と言っていいだろう。00年の京都は、夢のあるチームだった。彼らの集結が1年でも遅かったら、あるいはもう1年続いていたら、Jリーグの歴史は変わっていたかもしれない。

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