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【衝撃の降格】キングカズ、遠藤保仁、松井大輔、パクチソン…「2000年の京都サンガ」を知っていますか?
posted2020/12/17 11:01
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
J.LEAGUE
京都サンガにまつわるニュースを、このところよく目にする。
京都でプロキャリアをスタートさせた元日本代表MF松井大輔が、横浜FCからベトナム1部のクラブへの移籍を発表した。残り1試合となったJ2を戦っているチームからは、實好礼忠監督の退任と曺貴裁監督の就任が発表されている。
今から20年前の2000年に京都サンガは世間の注目を集める。カズこと三浦知良への戦力外宣告だ。
得点ランキング3位タイの17ゴールをマークし、2月から6月にかけて日本代表に招集されてもいた。33歳にして力強いパフォーマンスを披露しながら、チームのJ2降格に伴って非情の宣告を下したのだった。
カズの去就だけではない。2000年の京都サンガは、意外なほど興味深いチームである。
キャプテンマークを巻いてチームの先頭に立った“キングカズ”の後方には、のちにワールドカッププレーヤーとなる選手が3人もいた。遠藤保仁と松井、それに朴智星だ。
のちに国を背負うワールドカッププレーヤーたち
遠藤はプロ3年目だった。高校卒業とともに入団した横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併され、99年に京都の一員となった。新天地ではダブルボランチの一角を担い、この年はチーム2位のリーグ戦29試合に出場している。
当時からプレーに力みはなく、さりげない雰囲気から鋭いパスを繰り出していた。アシストの一つ手前のパスが多かったなかで、カズのゴールを演出するラストパスも供給している。
松井はプロ1年目のルーキーだった。遠藤と同じ鹿児島実業高校から加入した攻撃的MFは、複数のオファーのなかから「カズさんがいるということもあって」、生まれ故郷のクラブを選んでいる。
当時のJ1リーグは16チームによる2ステージ制で、30試合で全試合出場である。シーズン開幕直後の第2節でデビューを飾った松井は、リーグ戦22試合に出場した。スタメンは14試合を数えた。高卒1年目としては及第点が付くだろう。
朴は第2ステージの開幕節にデビューした。松井より1学年上の19歳は、韓国の大学からJリーグに飛び込んできた。母国では年代別代表に招集されていた逸材である。99年7月に国立競技場で行われたU-22の日韓戦では、両チームを通じて最年少の18歳で先発している。
ちなみにこの試合の朴のポジションは左サイドバックで、日本では遠藤が稲本潤一とダブルボランチを組んで出場していた。