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五味隆典42歳、尽きない格闘技への情熱とたった1つの心残り メイウェザーとも闘いたい?
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byShimei Kurita
posted2020/11/20 17:03
撮影ではYouTubeに登場する愛犬らら&ごんたも「一緒に写そう」とリクエスト。42歳になってもそのオーラは色あせていない
強い憧れを抱いていたUFC
<50戦以上に及ぶキャリアの中でベストバウトは。そんな質問を投げかけると、UFCでの試合が複数あがってきた。五味自身が「メジャーリーグ」と表現する最高峰での闘いは、自身の格闘技人生の中でも特別な挑戦だったという>
五味 もともとUFCには強い憧れがあった。やっぱり総合格闘家にとってトップの場所であり、ずっと観てきた世界だったから。「火の玉ボーイ」の由来も、ティト・オーティズ(UFC元ライトヘビー級王者)が好きで、彼のトランクスがファイヤーパターンだった。それを俺が真似てトランクス作ったから、火の玉になったと思うんだけど、誰が名前をつけたかはわからない(笑)。日本でもうやり残したこともなかったし、これまでとは全く違う感覚でUFCに挑戦した。
ただ、皮肉なもので一番憧れた舞台であるUFCでの成績が一番悪かった。今でこそ思うけど、修斗、PRIDEでチャンピオンという夢を2つ叶えて、モチベーションを高く保つことが出来なかった面はあった。そんなに格闘技のベルトばかりいらないから(笑)。
俺ね、チャンピオンという目標を叶えて、「じゃあもっと上へ」となる性格じゃなくて、頂上まで行ったら、翌日にはゼロになる人間で。一晩寝ると、何もしたくなくなるというか。でも、普通は人間ってそういうもんじゃない。本当にUFCで勝とうと思ったらトレーニングも含めて、堀口恭司選手や憂流迦のように向こうの基準に合わせて調整していかないといけない。それも考えた時期もあったけど、2つの夢を叶えてしまい、もうパワーがなくて、3つ目をやるエネルギーもなかったのかな。
後がないUFC2戦目、64秒でKO
それでも満足して覚えている試合って、結局UFCでの試合で。デビュー戦でケニー・フロリアンに負けて、後がない状況で臨んだ2戦目。あの時はまだUFCのスタイルへの慣れもなく、日本とは真逆でほぼアウェーの状態。PRIDEに来ていたブラジル人とかもそうだったと思うけど、見えないところでのプレッシャーもあった。
相手のタイソン・グリフィンとは、一度ラスベガスで練習したことがあって、ある程度手の内が分かっていた。崖っぷちに追い込まれた状況の中、1分ぐらいでいつもと変わらないKO勝ちできたことが後に繋がったし、ホッとした。
あとは、14年にボルティモアで闘ったアイザック・ヴァリーフラッグ戦。あの時はメインがジョン・ジョーンズ選手で、興行的な注目度が高かった。拳の骨折明けからの復帰戦だったけど、そんな中でファイト・オブ・ザ・ナイトを取れたからね。35歳となり年のことも散々言われてきて、本音を言えばパフォーマンスを保てるギリギリの年齢だとも思っていたから。
戦績的には4勝で、それでも契約を続けてもらえていたのは、4勝の中身がKO賞やファイト・オブ・ザ・ナイトを取ったりで、「五味はどこかで爆発してくれる」という期待もあったと思う。だから俺らしい試合を見せようと思えたし、個人的にはこの4勝は日本でタイトルマッチを勝つくらいの価値はあった。ゼロに近い状態でも続けられたのは、それまでよりも純粋にUFCの舞台が好きだったからやれたんじゃないかな。