“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
国見から13年ぶりの高卒Jリーガー 札幌内定188cm中島大嘉の名前の由来はあの偉大なストライカー
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/11/13 17:01
来季J1札幌入りが決まっている国見高3年FW中島大嘉。選手権予選の準決勝で敗れ、悔しい思いを滲ませながら撮影に応じた
父の同級生・木藤監督からの誘い
中学3年の段階で身長180cmを優に超えていた中島には、大阪を離れ、環境を変えて高校サッカーで成長したいという想いが芽生えていた。県外の強豪校から誘いがあったなかの1つが父親の母校である国見だった。
国見を率いていたのは、父と同級生でもある木藤健太。「とてつもないポテンシャルを持っている大嘉に大きな魅力を感じた」と、木藤は熱心に中島を誘った。
当初は遠く離れた長崎に行くつもりはなく、実際に練習に参加した星稜高校や帝京長岡高校に魅力を感じていたという。しかし、出席日数の関係などで推薦入学が厳しいという事情があり、そこから母親の実家から通える国見高への進学が現実味を帯びていった。
「父や木藤監督、小嶺栄二(故人・国見高コーチ)さんと話していくうちに、僕はあくまで高卒でのプロ入りを目指していたので、国見の看板を自分が復活させれば絶対に話題になるし、注目をしてもらえると思ったので決めました」
「中島の息子さんだろ、頑張れ」
大阪で育った少年にとって、国見町の環境で生活をするのは戸惑いもあったが、「サッカーをするためにここへ来たので、逆に集中できました」と再びサッカーに没頭する日々を過ごした。
1年目こそ出場機会は得られなかったが、高校2年になるとレギュラーに抜擢。この頃から国見高校に対する想いに変化が訪れた。
「国見町には両親を知っている人が多いので、学校に行く途中にすれ違った方から『お父さんを知っているよ』とか『お母さんは元気?』と話しかけてもらったり、街の人からも昔の国見の凄さを教えてもらったり、温かい言葉をたくさんかけてもらえた。試合に出るようになると、公式戦を観に来た人も『中島の息子さんだろ、頑張れ』と話しかけてくれる。だんだん青と黄色の縦縞を纏う責任感が強くなり、もう一度、国見町の皆さんを喜ばせたいと強く思うようになりました」
試合に出られない時は、ふてくされたり、人のせいにすることが多かった。だが、自然とその責任感のベクトルは自分へ向いていった。ポストプレーと抜群のスプリントを生かした裏への飛び出しを磨きながら、プレーの連続性とポジショニング、周りとの連携を意識するようになったことで、プレーの質は向上。
「他責ばかりでは何も生まれない。うまくいかなかった時ほど、自分がどうするべきだったか、どう改善するべきか考えるようになったことで、周りが見えるようになった」