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決して“お家騒動”ではないヤットとツネのプロ意識 「いつまでも頼ってはガンバの未来に…」
posted2020/10/13 11:00
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
J.LEAGUE
ガンバ大阪が2001年以来勝利を手にしていなかったJ1リーグのアウェイ、FC東京戦で競り勝ち、19年ぶりに「鬼門」で勝利。今季初の6連勝を勝ち取った。
積み重ねて来た白星の個数に決して目新しさはないものの、過去の足取りと異なるのは長年、クラブの大黒柱であり続けた遠藤保仁の姿がそこに、なかったことだ。
奇しくもFC東京戦が行われた10月10日、遠藤は同じ時間にジュビロ磐田でのデビュー戦を戦っていた。背中には自らの年齢を遥かに上回る50番の数字を刻みつけて。
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19年ぶりの勝利を手にした直後、宮本恒靖監督は「プレーをしている選手も変わりますし、いろいろ人も変わる中で、そういったことがあった」と19年間続いていたジンクスを振り返ったが、2001年から遠藤がプレーするクラブは、一貫して変わることはなかった。
ガンバ大阪が悲願の初タイトルを獲得した2005年以降、国内では鹿島アントラーズに次ぐ9つの栄冠全てに主力として貢献して来たのが背番号7を自身の代名詞にしてきた希代のプレーメーカーだった。
「ここ以上のクラブはないと思います」
そんな遠藤が、磐田デビュー戦のわずか5日前、国内での期限付き移籍では異例となる記者会見に臨んでいた。
ガンバ大阪が示したのは最大の功労者に対する最大のリスペクト。「クラブとしては遠藤選手を貴重な戦力として考えており、慰留することを前提に会話をしました」と同席した小野忠史社長は話したが、スーツ姿で引き締まった表情の遠藤もまた「ここ以上のクラブはないと思いますので、期限付き移籍という形で一回離れますが、ガンバに戻ってきたいという気持ちは強くもっています」と率直な思いを口にした。