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市船の「あいつら」に負けない! J1仙台で躍動する大学生・真瀬拓海の幸せな思い出
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/09/30 11:40
特別指定選手の大学4年生ながら、すでにリーグ11試合に出場する真瀬(第19節終了時点)
真瀬の目に映った金子の急成長
金子と真瀬は2年生で初めてAチーム(トップ)に上がった。言わば同志だ。当初は真瀬の方が多くの出場機会を得ていたが、金子が夏以降に頭角を現すと、ポジションは違えど、真瀬の出番は徐々に減っていった。金子が出場する試合では、ボランチのレギュラーだった原が右サイドバックで起用される試合が増えたのだ。
「金子と僕は、まさに11番目を争う存在になったんです。もともと親友でしたが、そこからはライバルとして意識するようになり、絶対に負けたくない存在になりました」
3年生になると金子がボランチ、真瀬が右サイドバックのレギュラーの座をつかんだ。後のJリーガーをズラリと揃えた市立船橋はこの年にインターハイ優勝を達成。真瀬自身もこの大会を通じて、攻撃参加の質が格段と上がり、大きな飛躍を遂げた。しかし、真瀬の目には自分以上に成長を続ける金子の姿が映った。
「金子は一気に自覚が芽生えて、どんどんチームの中心になっていった。コツコツと努力を重ねて徐々にステップアップしていくのを目の当たりにして、『このままじゃ置いていかれてしまう』と危機感が生まれていましたね」
驚いた、ライバル金子のプロ宣言
Jリーガーになった3人を尻目に、真瀬は阪南大へ、金子は神奈川大に進む。原や杉岡、高のように自分たちも「同じ舞台で戦いたい」と、4年後のプロ入りを見据えてさらに意識は高まった。
真瀬は阪南大で入学早々に右サイドバックのレギュラーを獲得。年が明けた2月には全日本大学選抜にも選ばれるなど充実の時間を過ごしていた。だが、再び金子から大きな刺激を受けることになる。
「金子がちょうど大阪に来ていた時に一緒にご飯を食べたんですが、そこで『俺、大学を辞めてプロに行くわ』と言われたんです。その時は『そうなんだ』と答えたのですが、内心はもう『マ、マジか』と衝撃的過ぎて、思わずポカーンとしてしまいました。何が何でも同じ舞台でプレーしたいという気持ちがどんどん大きくなっていきましたし、自分と向き合って考える時間が増えました」
一番のライバルであった金子は、大学を辞めてプロの世界に飛び込んだ。さらに高も加入したガンバ大阪で熾烈な競争に身を置き、杉岡と原に至ってはA代表としてコパ・アメリカ出場し、世界と戦った。そんな姿をテレビで試合を観ていたという真瀬は「あそこまで行っちゃったか」と思う一方で、「やっぱりあいつらには負けられない」と自分のやるべきことを再確認した。