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ネイマール乱闘退場は賛否両論だが……ロべカルやD・アウベスも被害、ブラジルサッカー人種差別史 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2020/09/21 17:00

ネイマール乱闘退場は賛否両論だが……ロべカルやD・アウベスも被害、ブラジルサッカー人種差別史<Number Web> photograph by Getty Images

今回のPSG対マルセイユの件は、人種差別的な言動が原因で大乱闘になったとされ、調査に入っている

過去のネイマールの発言

 18歳のときにブラジルのメディアから「これまで人種差別を受けたことがあるか」と聞かれ、「全くないよ。そもそも、僕は黒人じゃないしね」と答えている。

 デビュー当時からこのマルセイユ戦に至るまで、多くの対戦相手から「試合の間中、口汚く罵り続ける」と非難されている。

 最近も、母親の30歳年下の恋人に同性愛の経験があることを嘲笑したとして、LGBT(性的マイノリティ)団体から問題視された。

 ネイマール自身に差別的な言動が多く、今回の告発は昨今の世界的な人種差別反対の風潮に便乗しているだけなのではないか、というわけだ。

ブラジルの黒人選手にも苦難の歴史が

 ブラジルは、人種の混交が世界で最も進んだ国の1つだ。人種差別行為は違法とされており、厳重に処罰される。

 とはいえ、ブラジルの黒人選手もこれまで常に公平、公正な扱いを受けてきたわけではない。

 19世紀後半以降、外国人やその子弟が各地に総合スポーツクラブを創設し、フットボールチームが結成された。当初、ブラジル人でクラブに入会を許されたのはエリートだけで、基本的に有色人種は除外された。

 しかし、20世紀初めにサンパウロとリオでリーグが創設されると、各クラブは勝つために外部から“補強選手”を加え始めた。こうして、有色人種にも門戸が開かれた。

 ブラジルで最初に誕生した有色人種のスター選手は、1892年生まれのアルトゥール・フリーデンハイシ。父親がドイツ系、母親が黒人で、父親から緑の目を、母親から褐色の肌と縮れた黒髪を授かった。非常に敏捷でテクニックがあり、強烈なシュートを叩き込んだ。ブラジル代表にも選ばれ、1916年に創設された南米選手権などの国際試合でも活躍した。

 フリーデンハイシら有色人種のブラジル人選手がアルゼンチンやウルグアイでプレーすると、対戦相手や観衆から「サル」と野次られたという。これが、フットボールにおける世界最初の人種差別とされている。

【次ページ】 欧州でプレーするようになると人種差別が

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