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丸山桂里奈と電撃婚 56歳本並健治って、どんなサッカー選手だった? 腎臓破裂でも“プレー続行”伝説
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/09/09 18:00
現役時代はガンバ大阪、ヴェルディでプレーした本並
「Jリーグが開幕してお客さんがたくさん入るようになって、試合になるとアドレナリンが出まくっていたんだよね。あの試合もそうだった。痛みはもちろんあったけど、最後までやらなきゃって思ったんだ」
29歳での日本代表デビュー
94年には日本代表に選出されている。同年3月に就任したパウロ・ロベルト・ファルカン監督のもとで、5月に国際Aマッチデビューを飾る。若返りを図るチームで、柱谷哲二と並ぶ最年長の29歳だった。
デビュー戦となったフランス戦には後半開始から出場し、キャッチミスを含む2失点を喫した。ほろ苦い初陣である。7月のガーナ戦にも招集されるが、チームのターゲットだった秋のアジア大会はメンバー外となる。そのまま国際舞台からは遠ざかっていった。
日本代表への定着は叶わなかったものの、ガンバでは絶対的守護神であり続けた。94年と95年はフル稼働し、96年途中までレギュラーポジションを守った。オープンで飾り気のない性格がチームメイトを惹きつけ、アカデミーからトップチームへ昇格した宮本恒靖や稲本潤一らの成長を見守りつつ、97年途中に出場機会を求めてヴェルディ川崎へ期限付き移籍する。
37歳、ヴェルディで現役引退
翌98年からは完全移籍へ切り替えた。6月の誕生日で34歳となるシーズンである。GKはフィールドプレーヤーに比べて選手寿命が長いとはいえ、古巣ガンバとの別れは大きな決断だったはずだ。ひとつのクラブでキャリアを全うすれば、引退後にコーチなどの仕事を与えられる可能性は高まるからだ。
ところが、本人はサラリと話すのである。
「いやいや、自分ではまだまだできると思っているので、完全移籍を選びました。ここからサッカーが楽しくなっていくんじゃないかな」
ヴェルディでは3歳年下の菊池新吉らとポジション争いを繰り広げ、99年、2000年と2シーズン連続で正GKを勝ち取った。99年の第1ステージでは、若き日の中澤佑二らと守備陣を形成し、リーグ最少タイの失点を記録した。チームも2位に食い込んでいる。
現役最後のシーズンとなった01年も、リーグ戦の半分にあたる15試合に出場している。“浪速のイタリアーノ”と呼ばれる男は地道にトレーニングに取り組む姿勢を貫き、J1リーグ通算209試合出場のキャリアを形作った。
37歳で現役に幕を下ろしてからは、解説者としてテレビなどに出演しながら、指導者の道を進んでいく。国内最高位のS級ライセンス取得後は、女子サッカーチームで監督を務めた。
女子ワールドカップ優勝メンバーの新妻には及ばないものの、本並がピッチに記した足跡も色濃いのだ。