ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
通算600勝よりも意識した599勝目。
栗山監督が根本陸夫から学んだもの。
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph byKyodo News
posted2020/08/30 09:00
8月15日ロッテ戦で監督通算600勝を達成した日本ハム・栗山監督。
面識がない中でもらったオファー。
分岐点には「根本さん」が登場した。遡ること29年前、1991年のことである。ヤクルトスワローズで現役を引退した翌年、マスコミへと転身して再スタートを切った年だった。実は、ある恩人が共通の知人だった。そこを介して、当時、根本氏が辣腕をふるっていた西武ライオンズへと誘われたのである。まったく面識がなく、驚いたという。
記憶を紐解くと「そういうことに、興味はないか」というようなオファーだったという。職種や任務までは明確には分からなかったが、根本氏が見初めて球界、ライオンズで指導者としての道を作ることを示してくれたという。
しかし、次のステップはメディアに身を置く決意を固めていたため、やむなく断ったという。
「表に、前面に出ようとせず、フィクサーとして暗躍する。あこがれていて、こういう人はカッコいいなと思っていたのが根本さんだった」
荒々しくも斬新な選手獲得の手法、大型トレードの連発など、球界の常識や既成概念を打ち破る編成スタイルで名を馳せていたカリスマ。先見の明で、現代では主流となりつつあるフロント主導の編成スタイルを築いた源流である。栗山監督の羨望の的が、根本氏だった。
「いい意味で違うの世界の大親分みたいな」
栗山監督は生涯で1度だけ、対面したことがある。それがオファーを断った直後の1991年、春先のことだったという。記憶が確かであれば、西武球場を仕事で訪れた時だったという。最終的に打診を断ることになったが、関心を示してもらったことへの謝意を伝えるために、対面を申し入れた。
勇気を出して西武関係者を通じてリクエストし、わずかな時間だが対面が叶ったそうである。そのシーンを回想する。
「野球界の人っていう感じじゃなくて、いい意味で違う世界の大親分みたいな。そんなオーラだった。今、思い返せば星野(仙一)さんにどことなく似ている空気かな」
向き合った瞬間、直立不動になってしまったそうである。圧倒されながらも、オファーをいただいたことに対してのお礼の言葉を伝えると、根本氏からは優しく諭されたという。このようなニュアンスだったそうである。
「メディアで勉強するのであれば、それはそれでいいこと。ただこれまで野球をやっていたこと、プロ野球選手だったことなど、おくびにも出さずに新しい世界で勉強しなさい。メディアはメディアで、その道のプロだから」
たった1度だけ実現した根本氏との時間。裸一貫でリスタートすることの重要性を説かれ、約束したのである。