野ボール横丁BACK NUMBER
早見和真は今も甲子園の夢を見る。
「たぶん高校野球を恨んでいた」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph bySports Graphic Number
posted2020/08/14 11:00
早見和真さん(右)と中村計さん。高校野球の魔力に惹かれ、遠ざけた時期を持つ2人が、それでも高校野球と向き合う理由を語り合った。
野球推薦を断れたことが人生を決めた。
――『ひゃくはち』では甲子園のベンチ入りメンバー発表の瞬間が描かれていますが、あそこも名シーンのうちの1つです。これは経験した者でないと書けないと思いました。
早見「今でもメンバー発表で背番号をもらえる夢を見るんです。『15番、早見!』って言われて、心の底から喜んでいる。で、目が覚めてがっかりする。43歳にもなってるのに。そこまでのものって僕の人生の中では甲子園だけです」
――2年春、3年春と、スタンドで応援していたわけですね。
早見「3年春は甲子園練習のときにグラウンドに立っています。整列したとき、どうしてかわからないんですが猛烈に欲情しました(笑)。初めてですよ、異性以外のものにあんな感じで興奮したのは。
ピッチャーの練習用打者として、打席にも立ちました。監督に僕をベンチ入りさせなかったことを後悔させたくて、ばかばか打ってました(笑)。
ただ、練習だけでも、球場に飲まれる感覚がありましたね。アリ地獄の底というか、お椀の底の中心にいるような感覚で。フェンスがすごく遠くて、ここでホームランを打つやつって本当にすごいな、って素直に思えました
――大学時代は、もう野球をやらなかったんですよね。
早見「高校のとき、補欠ながら野球推薦の話もあったんですが断りました。あのとき断れたことが、今の自分の人生を決定づけたと思っています。
同学年で大学を一般受験したのは自分も含めて数人しかいませんでした。他のチームメイトが、あいつら何考えてんだという目で見ていたのを覚えています。でも、野球はもう何も自分にもたらしてはくれないだろうとわかっていたので」
――國學院大学に入学して、そのときから雑誌等に寄稿をするようになったんですよね。
早見「大学は7年間いて、最終的に中退しているんですけど、延べにしたら3年くらい海外に行ってると思います。いわゆるバックパッカーです。
とにかく野球から遠く離れた生活をしたくて。それで『AERA』に世界遺産の記事などを書かせてもらっていました。でも、フリーライターで食っていけるとは思わなかったので、就職活動をして、朝日新聞から内定をもらいました。ただ、卒業単位を取り切れず、内定の話もなかったことになってしまって。
そこから自暴自棄になって、大学も行けなくなってしまい、2カ月半くらい、引きこもっていました。そうしたら、ある日、よく飲みに連れて行ってくれていた編集者から電話があって。新宿三丁目で飲んでいて、初めて高校時代の話を他の人にしたんです。そうしたら、高校野球の小説を書いてごらんよ、と」