ツバメの観察日記BACK NUMBER
20年前命を絶ったヤクルトのエース、
高野光の遺品整理で出てきたもの。
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byKYODO
posted2020/07/27 17:00
プロ入り1年目に開幕投手を務めた。通算成績は182試合51勝55敗、1986年にはオールスターにも出場した。
1992年に1076日ぶりの復活勝利。
1983(昭和58)年ドラフト1位で、東海大学からヤクルトに入団。ルーキーイヤーの'84年には開幕投手を務め、いきなり10勝をマークする活躍を見せた。
以降、順調なプロ野球生活を送っていたが、'89(平成元)年に右ひじを故障すると、長く険しいリハビリ生活を送ることになる。
そして、野村克也監督時代の'92年4月に見事にカムバック。1076日ぶりの復活勝利を挙げると、この年は7勝を記録し、14年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献した。
「歴代ナンバーワンの才能を誇っていた」
しかし、その後は故障の影響もあって成績を残すことはできず、移籍先のダイエーホークスで'94年シーズンを最後に現役引退。
それから、オリックス、台湾、韓国球界でコーチを務めたものの、2000年秋、彼は自死を選択した。
報道によれば、進路に悩んでいたという。39歳という早すぎる死は球界に波紋を呼んだ。
当時、このニュースを耳にしたとき、言葉にできぬほどの寂寥感を覚えた。「どうして、あの高野が……」の思いで、呆然としたあの日のことは今でもよく覚えている。
あれからおよそ20年の月日が流れた。部屋の中でひときわ目立つ高野さんの笑顔を見ながら、何とも言えない気持ちになった。
長身を生かし、真上から投げ下ろされる角度のあるストレート。さらに、落差の大きいフォークボール。
80年代ヤクルトの正捕手を務めていた八重樫幸雄は、「歴代ピッチャーの中でもっとも才能があったのは高野だった」と今でも語る。