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20年前命を絶ったヤクルトのエース、
高野光の遺品整理で出てきたもの。 

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byKYODO

posted2020/07/27 17:00

20年前命を絶ったヤクルトのエース、高野光の遺品整理で出てきたもの。<Number Web> photograph by KYODO

プロ入り1年目に開幕投手を務めた。通算成績は182試合51勝55敗、1986年にはオールスターにも出場した。

独学でギターを覚え、ピアノも弾き、油絵をたしなんだ。

「お兄ちゃんは子どもの頃から何でもできる人でした。勉強も優秀だったし、野球はもちろん、剣道の大会でも優勝しました。

 独学でギターを覚え、ピアノも弾き、油絵をたしなみ、塑像作品ではコンクールで入賞も果たしています。何でもできる人だったから、プロに入ってから初めて挫折を覚えたんじゃないかしら……」

 我々の対応をしてくれた妹さんに話を聞いた。2歳上の兄の思い出が堰を切ったようにあふれ出してくる。

「……私の結婚式でも、長渕剛さんの『乾杯』をピアノを弾きながら歌ってくれました。二次会では、知り合いのお店を予約してくれて、全額負担してくれました。私にとって、本当に優しいお兄ちゃんでした」

「登板前夜には何度も何度も電話をかけているんです」

 先発登板を翌日に控えた前の晩のこと。高野さんは何度も何度も電話をかけていたという。初めはどこに電話をしているのかわからなかった。しかし、すぐに事情を理解する。

「明日、先発するということは家族に対しても絶対に口にしませんでした。でも、登板前夜には何度も何度も電話をかけているんです。電話で天気予報を聞いているんです。翌日の天気が気になるんでしょうね。

 だから、お兄ちゃんが電話をかけ続ける夜は、家族全員が、“あぁ、明日投げるんだ。頑張って!”という思いでしたね。天気予報を気にしていたこと、いつも爪の手入れをしていたこと。それは強く印象に残っています」

 150キロを超えるストレートを誇りながら、マウンド上でときおり見せる自信のなさ、気の優しさが印象的な投手だった。前述した八重樫は「荒木大輔の気の強さが高野にあればスーパースターになっていた」と語ったことを思い出す。

【次ページ】 「家族には辛い姿は一切見せませんでした」

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