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20年前命を絶ったヤクルトのエース、
高野光の遺品整理で出てきたもの。 

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byKYODO

posted2020/07/27 17:00

20年前命を絶ったヤクルトのエース、高野光の遺品整理で出てきたもの。<Number Web> photograph by KYODO

プロ入り1年目に開幕投手を務めた。通算成績は182試合51勝55敗、1986年にはオールスターにも出場した。

亡き父の文字で「光 1勝目」「光 完封」と。

 妹さんのご厚意で、高野さんの登板試合を録音したカセットテープの束と、86年の日米野球で高野さんに贈られた記念の盾を「形見分け」としていただいた。

 カセットテープには亡き父の文字で「光 1勝目」「光 完封」などと書かれている。新聞記事のスクラップブックには、やはり父の文字で高野さんの登板リストが刻まれている。

 両親の深い愛情を感じさせるものばかりだった。写真アルバムにはギターを弾く姿も記録されていた。ユニフォーム姿ではない高野さんの一面を初めて見た。

 頂いた盾のプレートには「優秀投手賞 全日本 VS 米大リーグオールスター 1986年11月2日 ヤクルトスワローズ 高野光殿 後楽園」と刻まれている。

 さっそく、資料にあたってみると、不思議なことにこの日、高野さんは試合に出ていない。どうして「優秀投手賞」を贈られたのかは定かではない。それでも、妹さんから託された記念の盾は、これからも大切に保管したい。

 帰宅後すぐに、きれいにホコリをはらって本棚の一角に飾ってみる。

 投手を模した像の右手は手首から先が欠けていた。現役時代の高野さんとはまったく異なるピッチングフォームではあるけれど、右手の欠けた投手の像――見ているだけで切なくなってくる。

 デビュー時のまぶしいほどの輝き、'92年の涙の復活劇は、今でも記憶の中に鮮やかに生き続けている。

 スワローズ70年の歴史において、「高野光」という好投手がいたことを決して忘れない。忘れてはならない。忘れたくない。

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