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韓国2部で11戦11ゴールFW安柄俊。
憲剛さん、キタジさんの助言を胸に。
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph bySuwon FC
posted2020/07/24 09:00
先日、古巣ロアッソ熊本へ豪雨に伴う義援金を贈与した安。いまも日本への感謝の気持ちを忘れない。
先輩、監督に恵まれた川崎時代。
「プロになりたての頃、僕はどこかで変な自信があって、傲慢で天狗。調子に乗っていたんです」
安は東京生まれの在日コリアン。東京朝鮮中高級学校サッカー部時代にはFIFA U-17W杯に北朝鮮代表として参加。中央大学サッカー部でも実績を残し、'13年に川崎フロンターレに入団した。
しかし、1年目から痛めていた右膝半月板の手術を2回もしており、完全に戦線から離脱。シーズンを棒に振った。
ほとんど試合に出られないまま、'15年はレンタルで半年間をジェフユナイテッド市原・千葉、'16年はレンタルで1年をツエーゲン金沢で過ごした。「この時期は本当に苦労し、特に悩んだ時期だった」と吐露した。
「'16年までは自分がサッカー選手としても、人としても、すごく未熟者だったかなと思います。大学時代にある程度注目されていて、自分では気づかないうちに、傲慢になっていたのは間違いなくあると思います。未熟者すぎて、よく偉そうなことを思っていたなって。川崎時代は風間(八宏)監督からたくさんのアドバイスと指導をうけて、同じFWにはそれこそ大久保嘉人さん、小林悠さん、レナトさんがいて、学ぶことがたくさんありましたし、憲剛さんからもいろんな助言をもらっていました」
確かにその顔ぶれを見ても、Jリーグ屈指の豪華メンバーと言っていいだろう。1年目のルーキーが成長するには最高の環境だ。
だが、当時の安には若さからくる自信もあった。それがFWとしての“傲慢さ”と言えば、多少はやわらかく聞こえるかもしれない。
「当時の僕は、その人たちから学ぼうっていう姿勢が足りなくて、『俺はこの中でもできるんだ』っていう、自信があったんだと思います。でも、いま思えばただの調子乗っているやつです。入団と同時に膝を1年に2回も手術して、それでも『俺はできるんだ』という慢心があったし、膝のケガもあってこれまでの感覚に戻らない苛立ちもありました。本当に何もかもうまくいかなくて、きつかったですね」
コーチ北嶋秀朗に耳を傾けた安。
そんな安の考え方が変わったのは、'17年ロアッソ熊本に完全移籍したとき。そこで当時熊本でコーチをしていた元日本代表FW北嶋秀朗と出会った。
「キタジさん(北嶋)は選手時代、日本代表でストライカーとしても有名でしたから、自分の経験も踏まえて、プレシーズンから色々と話してくれました。キタジさんの言っていることを練習から自分も意識してやってみようと思いました。ゲームの中で意識しはじめると、自分のプレーがよくなっていったんです」
熊本に在籍した2シーズンで安は69試合に出場し、通算17ゴールを決めている。プロ入り後、もっとも活躍した2年間だったが、北嶋のアドバイスに聞く耳を持つようになったのは、安の中で相当強い危機感があったからだ。
「ツエーゲン金沢でのレンタル契約が終わったときに、このままだと自分がダメになっていく感覚があり、色々と思い悩んだ時期でした。完全に追い込まれていました」
ただ、一方でこのままでは終われないという思いも強かった。熊本で北嶋の言葉に耳を傾けようと思えるようになったきっかけがあった。
「川崎時代の風間監督や憲剛さんたちに言われたことがずっと頭の中に残っていました。それは一言でいうと『お前はプレー中に何も考えていない』ということです」
それは具体的にどういうことなのか。