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50歳荻原健司、肩書きを捨てて再出発。
小さなジャンプ台で蘇ったあの感覚。 

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

PROFILE

photograph byTomosuke Imai

posted2020/07/20 11:00

50歳荻原健司、肩書きを捨てて再出発。小さなジャンプ台で蘇ったあの感覚。<Number Web> photograph by Tomosuke Imai

子供を対象にしたスキージャンプ教室など、新たな道を模索し始めた荻原健司。

荻原が20年ぶりに“再会”したもの。

 無料講習会の活動の中で、思わぬ大きな収穫もあった。子供たちを教えるために自らも子供用の20m級ジャンプ台を飛んだ時のこと。20年以上前の懐かしい感覚と久しぶりに“再会”したのだ。

 五輪で団体2連覇を達成した90年代前半、荻原は純ジャンプでも通用すると言われるほどジャンプを得意とする選手だった。

「当時はジャンプ台に行って自分の感覚で滑り降りてくれば自然と飛べてました。ただ漠然とジャンプ台に行って、調子のいいジャンプを繰り返していただけだった。それを言語化する作業は何もしてなかった。だから、崩れていったときに戻せなかったんです。うまく思い出せるような象徴的なイメージを残せなかった。少しずつ崩れていって、いつの間にか失くしてしまった。どこに行った? と探しても出てこない。その忘れていた感覚を原点のジュニアの指導から見つけ直せました。だから今は自分の技術を人に伝えることに確信が持てている。誰のジャンプでも、一目見て直せる自信があります」

オンラインでラジオ体操、半農半スキーヤーの構築。

 新型コロナの影響で講演会やスポーツイベントの中止が相次ぎ、4月や5月は収入ゼロ。講習会も中断を余儀なくされたが、6月から再開した。7月は定員がいっぱいとなり、今後も月1ペースで開催していく予定でいる。

 緊急事態宣言中には、オンラインでの有料ラジオ体操クラブも立ち上げ、ほぼ毎朝ライブ配信を行っている。そうした活動を説明する荻原の口からは次々にアイデアが飛び出してくる。

「メンバーにはジャンプをやっている子供もいるんですが、彼らが動画を見せてくれれば荻原目線のアドバイスをすることもできる。地元にコーチがいても、スポーツ指導のセカンドオピニオンを受けられる場があってもいいと思うんです」

 今、構想を練っているのは、所属先のない選手が活動資金を確保するためにオフは米作りをする“半農半スキーヤー”モデルの構築。田んぼを持つスキー関係者にアプローチし、まずは自ら米作りに挑戦して可能性を探るつもりだという。

 精力的に動く荻原は、ジャンプの感覚だけでなく、求めていた自分らしさも取り戻したように思える。

「でもねえ、うーん、いやあ……会社辞めるもんじゃないと思いますよ。そりゃあ厚生年金と健康保険に守られた方がよっぽどいいですって。勤められるなら長く勤めたほうがいいのは間違いない。でも、それでもと言うなら一歩踏み出す、新しいチャレンジをしてみるっていうのもね。一度しかない人生ですから」

 荻原健司は大人になった。その上で自分らしく生きている。

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